2003年8月8日号
7月27目(日曜日)。敬和学園大学オープンキャンパスの一日は天気晴朗なる一日であった。聖日、つまり安息の日ではあるが、学園にとって大事な一日であり、朝から出勤する。親御さんたち、ときに両親に付き添われ...
7月27目(日曜日)。敬和学園大学オープンキャンパスの一日は天気晴朗なる一日であった。聖日、つまり安息の日ではあるが、学園にとって大事な一日であり、朝から出勤する。親御さんたち、ときに両親に付き添われ...
4月に新入生オリエンテーションのために行った黒川村・胎内(たいない)へ、夏になってから、また行ってみた。大学から片道やく30キロたらずの渓谷ぞい。山間の僻陬(へきすう)に、ロイヤル・ホテルという名前の...
7月5日には敬和学園大学・高等学校合同研修会が行なわれた。この研修会の開催にはわたしも熱心であった。5月半ばに大学側の中心的な教授および事務局長といっしょに、高校に小西校長を訪ねて、合同研修会の開催を...
7月11日のチャペルで「くつを脱げ」を語った。モーセのあとを継いだヨシュアが、エリコを攻略したときのこと、抜き身の剣を手にした恐ろしい男が立ちはだかった。「ワァー、味方か、敵か」とヨシュアは叫んだ。男...
北垣前学長に勧められて、新発田ロータリー・クラブというものに入った。ロータリー・クラブの名は知らないではなかった。それは業界の偉い方がたのお集まりで、一種の仲良しクラブであり、教育・研究にたずさわる者...
6月21日(土)の午後には敬和学園高等学校の3年生のなかで、本学志望の生徒とその父母、約30名がこのキャンパスに来てくださいました。学長は(教務部長の山田教授や入試室の担当者とともに)、石川力先生に引...
アキノ夫人がフィリピン大統領として日本を訪れたのは、1986年11月のことでありました。宮中に招かれた折に、俳句を献呈しておられます。 “In pain and sorrow / I have nev...
学長というものは、旅に出ることの多い職務である。この春だけでも、東京は何度か。京都、大宮、西宮、その他を転々とした。その度に、ふだん読めない本を数冊カバンのなかにいれて歩く。この晩春に読んだ1冊に旧師...
この学園はキリスト教主義のリベラル・アーツ教育を主義として掲げてきた。「神に仕え、人に仕える」ことの意味を、実際の研究と教育の場で生かそうというのである。そして、与えられた人生に生きがいをみつけて歩む...
敗戦の詔勅を聞いたのは、山形県の鶴岡でした。盛夏の中学校の校庭に集められて、不動の姿勢で「玉音」に耳を傾けました。その後の昏迷のなかで、私は2冊の本を読みました。徳田球一の『獄中十八年』と尾崎秀実(ほ...