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「深い対話の7段階」seven stages of deep-dialogue
 
 PDF版ドキュメント『深い対話の7段階』
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深い対話の7段階
グローバル対話研究所

第1段階
差異のラディカルな出会い:
自己が他者に直面する

この第1の出会いは、あるショックをともなって、他者つまり異質な生き方、異質な世界観、私の安定した解釈パターンに抵抗し、それを中断させ、混乱させる異質な他者の認識をともなって、立ち現われます。この初回の出会いには、私の精神的習慣はこの他者を理解することができない、という新しい認識が避けられません。この「差異」――異質な世界、世界を解釈し、経験する異質な仕方――とのラディカルな出会いは、私を当惑させ、ときに私を脅し、そしてこの異質者の存在には「かなわないな」という思いを私に喚起するのです。私は、新しい境界設定の感覚をもつようになり、この他者にたいする私の関係の仕方を変更し、修正するように挑まれていると感じるのです。私はいま、他者を私の「考慮」の様式へと翻訳し、他者を私の世界観へと取り込む私の習慣が、機能障害を起こしていることに、気付くのです。したがって私は、突然の沈黙、停止、開け――つまり、不確かさとリスクが待ち受ける地平――に直面します。私は、前進するか、それとも後退するかの決断を下さねばなりません。

第2段階
移り越すこと――放下すること、他者の世界に入ること:
自己が感情移入によって、変革される

 当初のショックと、私はいまや異質な世界、私のものとはきわめて異なった世界観に直面しているのだという認識ののちに、私はこの新しい世界を探求し、調査し、これに関わり、そのなかに入るようにと挑まれていると感じます。私が私の自己をこの他者に開くにつれて、私は、私のこれまでの世界を考慮する習慣や様式から退き、自分自身を引き離す必要があることに、気付くのです。私は、この他者世界は、私のやり方とはきわめて異なったやり方で世界を組織し、処理することに、気付きはじめます。私は、この異質な世界を理解するためには、新しい解釈習慣・解釈方法を学ばねばなりません。じっさい、私は、世界を異なった風に見る異質な生の形へと私自身を翻訳し直さねばならないのです。このことは、私の偏見を括弧に入れて封じ込めることを含むのです。

第3段階
他者の世界に住むこと、それを経験すること:
自己が他者へと変革される

私は、私の新しい住居(すまい)にたいして新しい、深い感情移入を感じ始めます。私は、この新しい存在の仕方のなかに入り、そのなかで実験し、学び、成長するために自己を放下し、解放したいと思います。私は、できるかぎり私の旧来の見方に踏み止まりますが、しかし、控えめな仕方でたしかに前進するのです。私は、他者、生のもう一つのリアリティーと形態についての新しい深層理解に達するのです。しかし、最後には、これは私の「我が家」ではないと知ります。

第4段階
拡大したヴィジョンを得て立ち返ること:
自己は我が家へと新しい知識を得て帰る

私は、思考と行動の仕方についての新しい知識を持ち帰るなかで、我が世界へと立ち返り、帰還します、そして自分自身のためにそのうちのあるものを採用・適用することを願いさえするかもしれません。この他者の世界との原初的出会いの結果、私はいまや、リアリティーを理解する違った道があることを、悟るのです。私はしたがって、どのように自分自身、他者、そして世界を見るのかを再考することに開かれています。私は、新しく開かれた精神をもって、私の自己と文化に新たに出会うのです。ラディカルな差異との私の出会いはいまや、私の旧来のアイデンティティーに挑戦します、そしてすべてが新しい光のもとで露わになり始めます。いまや、私の自己、私のアイデンティティー、私のエスニシティー(民族的固有性)、私の生活世界、私の宗教、私の文化についての私の感覚の劇的な深まりが始まるのです。私の以前の一方的な物の考え方にもう返る手段はないのです。

第5段階
対話的目覚め:
ラディカルなパラダイム・シフト――自己が内面的に変革される

自己とのこの新しい出会いの結果、私が他者との深い出会いから立ち返るとき、私は、私の世界のあらゆる面に――私の内面的経験に、私の他者たちとの出会いに――深遠な変容をこうむり始めます。私は、私の他者との出会いが私の以前の世界観、私の以前のアイデンティティーの土台を揺るがすことに、気付き始めます。というのも、いまや、私は、他の世界、他の視点の生きたリアリティーを顧慮するものですから、もはや私の旧来のアイデンティティーに返ることはできず、この他者の生きた現存在を忘れることができないからです。じっさい、私はいまや、私を取り囲む多くの他の世界、他の生の形態、他の視点があることを認識し始めるのです。私はいまや、他の世界と視点の複数性に開かれています、そしてこのことが自己に関する私の感覚を回復不可能なほどに変容するのです。私は、私のエコロジー(環境世界)とのいままでよりも深い関係と連結の感覚へと変革されてゆく自分を感じるのです。私はいまや、私の真のアイデンティティーは本質的にこの他者たちとの広範な関係のネットワークと連結していることを、見るのです。これは「対話的目覚め」の点火であります。

第6段階
グローバルな目覚め:
パラダイム・シフトは、自己を、自己、他者、世界と
関係付けられたものとして成熟させる

私の変革された対話的目覚めのなかで、私は、私を取り囲む複合的世界と視点のあいだのより深い共通の根拠を発見します。私は、自己と他者は無限の相互に関係付けられた「ウエブ」(網の目)のなかで密接不可分に繋ぎ合わされている、という新しい感覚をもつのです。私は、複合性と多様性が私の自己と世界を豊かにすることを、悟ります。私はいまや、一切の世界がリアリティーの共通の根拠においてあること、そしてラディカルな差異は、にもかかわらず、統一性の領野のなかにあることを、見るのです。私は、グローバルな対話的目覚めの三つの相互に連関した次元を経験します。

a) つねに深まりゆく自己発見:私は、私の自己との深い内面的対話を自覚するようになります。私は、私自身の内面世界の内部に、豊かなパースぺくティヴ(観点・視点)の複合性と多様性を、発見します。この内面的対話において私は、私の世界にますます深く根差し、基礎づけられていることを、感じます。私のアイデンティティーは、複合性によって豊かにされています。そして私は、私が他者たちおよびエコロジー(環境世界)との私の広がり行く関係性の世界を寿ぐにつれて、私のユニークネスのより可能性にとんだ感覚を経験するのです。
b) ダイナミックな対話が、私の共同体に住む他者たちとのあいだに拓ける:私の新しい内面的対話が展開するのつれて、私は、自分が私の世界、私の伝統、私の宗教、私の文化を共有してくれる他者たちとの新しい変革された関係ののなかにあることを、発見します。この私の仲間たちとの新しい関係の段階は、私の方向感覚を狂わせ、私を当惑させます。というのも、私がいまや、私のアイデンティティーの点で劇的に成長するにつれて、私は、自分が私の仲間の多くの者から疎外された距離のなかに存在していることに、気付きます。これは、私が、私の共同体、私のポリス(都:くに)のいままでよりも深い親近性と交わりを確認しているにしても、であります。私は、私の同僚たちとの新しい乱気流――つまり、コミュニケーション不全と誤解の渦――に直面するわけです。そして私のポリス(都:くに)のなかで挑戦的で、劇的な、対話が展開します。
c) 私の生の全面にわたってグローバルな覚醒が生起する:この内面的な、また外面的な対話が成熟してくるにつれて、私は、私の世界に関する理解が新しい「グローバルな」光の中へと入ってゆくことを、意識します。つまり、私は、私が多くの世界観に取り囲まれていることに、気付くのです。私は、その中において、宗教間、文化間、イデオロギー間、学問分野間、人格間の多種多様な対話があらゆる方向にむけて咲き誇るところの、グローバルな地平、グローバルな意識へと入ってゆくのです。私はいまや、新しい、地球化された実在感覚を持ちます――それは、その中において、複合的な、相互に代替し合う世界がダイナミックな、つねに深まり行く関係においてあるところの、対話的住処(すみか)です。この理解とともに、生と倫理への新しい態度が拓けます。

 

第7段階
生と行動形態の個人的、地球的変革:
新しいグローバルな対話的意識において、自己は生きかつ行動する

このパラダイム・シフトが私の生のなかで成熟するにつれて、私は、私の生のあらゆる局面において深い変化――新しいモラル意識と新しい実践――が生じていることに、気付きます。私の新しい対話的意識が生の習慣となるにつれて、私は、自己と他者への私の行動様式と私の性向が芽吹いてきたことに、気付きます。私は、私の自己へのもっとも深いケア(配慮)は、私の他者たちと環境へのケア(配慮)を本質的に含むことを、認識します。私は、私の世界への、私の共同体への、より深い内属の感覚を、そしてそれとともに、私の行動の全局面において境界のない責任感を、もちます。私はいまや、精神と行動の最深の習慣において変革された者としての自覚を抱きます。私は、私の生にいままでよりも深い自己―実現(自覚)、成就達成、意味、私の周囲の他者たちと世界との私の関係に関する感覚を、見いだすのです。

(翻訳:延原時行、200年8月5日)

 

 
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