付録6:基礎演習延原ゼミ・レポート(3)
十人十色の意見と交流
- 03k066 高橋 惇 -
前期の基礎ゼミではまず、十人十色だということを知った。人によって様々な意見を持っている、ということである。ゼミの「クエスチョン・アンド・リーズン」(注・教科書を読んだ上で、どこかのページの内容に関する疑問とその理由を一枚のシートに書いて各自用意し、全員に配った上で発表、討論するゼミ形式)でそのことを知った。また、人の意見を聞くことによって自分にプラスになったりもする。人に自分の意見を聞いてもらい、それについて話し合い考えるということが、こんなに大切だとは思わなかった。
やはり、話し合ったり、交流したりするのは大切である。交流と言えば、7月9日に行われた希望の家の人達とふれあったボランティア実習である。障害をもった人達とのふれあいは、ただの交流ではなく、心の交流でもある。わなげをやったり、しんけいすいじゃくをしたり、さまざまな交流があった。時に驚いたのがしんけいすいじゃくの時で、何枚も当てている人がいたことだ。障害をもっているとは今でも思えない。景品がかかっているからかもしれないが、それ以前に、純粋にゲームを楽しんでいる人だなあ、と思った。
もう一つ驚いたことがある。僕の前に座っていた希望の家の人が上越市出身の僕の小学校の校歌を知っていたのである。でも、驚く以前に、自分の出身の小学校の校歌を知っていたのがうれしくて、一緒に歌った。とてもうれしくもあり、楽しかった。
うれしい話はまだある。希望の家で働いている人に昼食の時、「ちいさなおわんを三つ、四つ持って来てくれませんか。」と言われ、持ってくると、「ありがとうございます。」と言われ、ボランティアをしている、人の役に立っている、という実感がわいてきてうれしかった。
ドッジボールをしている時でもルールは分かっていなくても楽しんでいるからいいやとさえ思った。こういう機会を与えてくれた人達に感謝したい。
ところで、最初のゼミの話に戻るが、4月24日―25日に胎内パークホテルで行われたオリエンテーションで、自己紹介の時、この人達と一年間がんばっていくんだなあ、という期待と不安でいっぱいだった。
今では、このメンバーで色々な問題を色々な意見をかわしながら取り組んでいる。例えば、「care」は「配慮」、「cure」は「治療」ということで、似たような言葉でも意味は全く違うことを学んだり、またある時には、人の気持ちには段階があり、段階を良く見て大切にする、ということを学んだ。僕は、後者の問題については、「こういうところが良くなかった。今度はこういうところをなおしていこう。」というように、成長するのも病気が治るのも段階を踏むことが必要だと思ったり、喜怒哀楽が激しいのは、色々な段階を踏んでいるからだと思ったりした。この考えも、ゼミのメンバ―の意見を聞き、考え出した意見だ。自分の意見を持つということは、一人の力では生み出せないと思う。人に問題を提起し、それについて話し合い(discuss)、さまざまな段階を経て生まれてくるものだと思う。
『とりなしの祈り』では、祈ることの大切さを学んだ。そしてthinking for oneself(自分で考える、自分の意見をもつ)ということや、mutual
learning(お互いに学び合う)という楽しみもある。
このゼミでは、「祈る」ということや、「思いやる」ということをよく耳にする。人の命を大事にするということなのだろうか? 他にも、神を讃美する使命、仕事という意味の「お召し」(キリスト教)という言葉や、「お迎え」(仏教)という言葉も出てくる。こういうゼミを受けていると、人の命の大切さ、尊さが身に沁みてくる。
先にあげた『とりなしの祈り』を読んで疑問を持ち、話し合う。そしてまた新しい意見を持ち、その繰り返しで、成長していくんだなあ、と思う。その意見を持つことが、自分を表現する大事な材料になると思う。これからは、交流や話し合いなどさまざまな場面で、自己表現が重視される時だとおもう。だから、このゼミでさまざまな場面で対応できる自己表現力を吸収していきたいと思う。
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