学長室だより
変わらないものと変わるもの
キャンパスの木々の雪囲いが外されて、木々は春らしい陽射しを浴びています。梅の木のつぼみが膨らみ、今にも花がほころびそうになってきました。
毎月第二土曜の朝は7時半から、1年前の開寮時以来、学生寮のコモンルームで新発田朝祷会を催しています。敬和学園は新潟の朝祷会の祈りの中からビジョンが生まれて共有され、50年前に学園が発足するに至りました。
敬和学園大学にはいろいろな方法で支援してくださる方々がいますことを感謝しています。中でも今も敬和学園のことを覚えて、祈って支えていてくださる方々が、新発田・新潟や県内ばかりでなく、全国各地におられることは、目には見えないことですが心強いです。また、それが敬和の原点であると確信しています。
11日土曜の朝は、牧師となった一期生の卒業生が、26年前の学生時代から神学校へいくまでの公務員時代の経験を証ししてくれました。その話に耳を傾けていると、20年以上前に一緒にさまざまな活動をしたことを昨日のことのように思い出すのと同時に、40数年前の私の学生時代の経験を鮮やかに思い出し、また現在の学生たちとの関わりに想いをはせることになりました。
それらの三層をなす異なった経験は、時代や場所は変わり、社会や生活様式は変わり、学生と教師という立場は変わりましたが、まるで変わらない、連続して一貫したものがあるのを感じました。「アイデンティティ」「三つ子の魂、百まで」とふと思いました。(山田 耕太)