チャペルのひびき

抑圧と差別から解き放つ祈りとは

チャペル・アッセンブリ・アワーは、カトリック横須賀三笠教会司祭であられる浜崎眞実先生が、「この種のものは〈祈り〉によらなければ決して追い出すことはできない」とのタイトルのもと、啓発的なメッセージをお伝えくださいました。先生は、お生まれになられた奄美の島をはじめさまざまな地域において、抑圧され、虐げられた人々に寄り添いながら尊いお働きをなさってこられた方。そのこととの関連において、先生の語られる聖書からのメッセージも独特の色彩を帯びていました。このタイトルは、「マルコ福音書」に記された主イエスの言葉によるものですが、その言葉の背景にあるのは、主イエスが「汚れた霊」(悪霊)にとりつかれた子どもを癒したできごとです。浜崎先生は、この物語を読む際に、医療モデルではなく、社会モデルにおいて読み解く必要を説かれていました。社会モデルで読み解くと、子どもを苦しめた汚れた霊(悪霊)とは抑圧と差別の謂いであり、その霊から解き放つ力をもつ「祈り」とは、視点を変えつつ(自らの立ち位置を変えつつ)、抑圧と差別の中にある人々と連帯してゆく行為と理解することができるというのです。先生の聖書解釈とメッセージは、数ある解釈の中の一つの見地ではありますが、私たちが人間として生きるにあたってモデルとすべき主イエスのありさまを確かに示してくれているように思います。(下田尾 治郎)

メッセージ 「この種のものは、〈祈り〉によらなければ決して追い出すことはできない」 カトリック横須賀三笠教会司祭 浜崎眞実 先生
20180720チャペル・アッセンブリ・アワー1

<参加学生の感想>
感想1) 生きていいかは、他人が決めることは違います。誰でも生きていてよいのです。自分の人生なのに、頑張って生きているのに、他人が否定することは違うと思います。「猫の霊が…」は、すごく怖い話だなと思いました。憑いている人は、考え方が一方的になってしまうのだと感じました。今回の話を聞いて「差別」ということをじっくり考えられました。世の中には困っている人や、生きていくために大切なものがない人、周囲に価値を決められている人が、まだまだたくさんいることが分かりました。その人たちのために、私たちが何かできるかを考えて、行動していきたいです。
感想2) 「悪霊」を現代の言葉に言い換えると、「抑圧と差別」だということにとても納得しました。この言葉にすると、聖書に書かれている内容や、イエスの行動が見えてくるものがありそうですし、現代の問題点ともリンクする部分があり、分かりやすかったです。また、今、西日本豪雨で被災地で必要なものかを考えずに物資を送っていることが問題になっていますが、これこそ「メタノイア」-痛みを感じる人のところへ視点をずらすことが大切だと思いました。
感想3) ホームレスの人に対してふざけてダンボールの家を壊したり、暴力を振ったり本当にひどいなと思った。それなのに、警察が喧嘩両成敗と言って、穏便に済ませようとしたところも許せない。「ダンボールを撤去しないと捨てます」という張り紙が、「野宿する人は何されてもいいんだ」ということを誘発していることになるという考え方もなるほどなと思った。役所に助けを求めに行っているのに、メチャクチャな理由をつけて、結局突き放して本当に生活保護制度は何のためにあるのかなと思う。社会に責任があると思うけど、社会全体をすぐ変えるのは難しいと思うので、視点をずらし、痛みを共感できるところに体をずらしながら、自分ができることが何かは分からないけど、困っている人の力になりたい。