図書館

敬和学園大学 図書館だより(2011年3月号)[2011-03-01]

学生に推薦したい本 (学長 鈴木佳秀

『古代ユダヤ教(上・中・下)』 マックス・ヴェーバー著・内田芳明訳、岩波文庫、1996年。

ここで取り上げる本は、学生諸君に推薦したい本という主題からははずれるかもしれません。取り上げるのは、M・ヴェーバー著『古代ユダヤ教』(岩波文庫)です。この本との出会いが、その後のわたしの人生に決定的な影響を与えたからです。わたしの人生を決定した、そうした意味で、本との出会いの大切さについてお話ししたいと思います。
その出会いは、大学時代、3年次学生になる直前でした。新宿に出た帰りに、ふらりと途中の中央線西荻窪駅で下車し、駅のそばにある古本屋に立ち寄ったのです。線路際にあったこの古本屋は、キリスト教関係の図書を数多くそろえていた店で、急いで買うという予定もないのに、よく出入りしては興味を引きそうな本を開いて中を拾い読む、ということを楽しんでいたのです。新刊本も書架に並べていて、多少は値引きして売ってくれていました。
裸電球がぶら下がっている薄暗い奥の場所に、キリスト教関係や聖書関係の図書が並べてあったのです。向かった正面の棚に、目新しい箱入りの書物があるのに気付きました。新書でした。目を近づけて書名を見ると『古代ユダヤ教』と記された2巻本でした。みすず書房から出ていた本です。後に、訳者であった内田芳明氏は、岩波文庫として出版する際に、著者名をウェーバーからヴェーバーに改め、訳文にかなり手を入れ、社会学的な基本概念を改訳する形で刊行したのです。
みすず書房のその本を惹き付けられるように手に取り、カバーとして包んであったパラフィン紙を破かないように、丁寧に中の書物を引き出したのです。どきどきした気持ちであったのを記憶しています。目次を見ると、古代イスラエル社会を、神学の立場でなく、宗教社会学的な観点で叙述する章立てになっているのに目がとまりました。四つの社会層についての言及があり、そのページを開いてみると、旧約聖書を引用しながらも、イスラエル諸部族の歴史的生産様式等について詳細に論じているのです。すべて初めて聞く内容でした。

聖書を題材に社会科学的な論述をしていることに、驚きを禁じ得ませんでした。訳者後書きを読みながら、すぐに値段を調べたのです。上下巻で、両方買うとほぼ二週間分の食費代になる値段でした。上巻を丁寧に箱に戻し、少し薄めの下巻を取り出してみました。下巻は預言者論でした。預言者エレミヤや第二イザヤに言及している箇所を目で追いながら、夢中でページをめくったことを思い出します。
大きく一呼吸して、決断したのです。持参していた有り金のほとんどを使う結果になったのですが、買うと決断すると、もう迷いはありませんでした。三鷹南口の餃子菜館という店で夕食を腹一杯食べてバスに乗り、第一男子寮に戻るのが通常のコースでした。その日は、夕食抜きにならざるを得なかったのです。寮に戻り、すぐに本を開いて読み始めました。難解な本でした。途中まで読み進めても、社会層の社会学的な概念規定になじみがなかったので、よく理解できず、引用されている旧約聖書の箇所をみながら、ウェーバーの論述を辿るという読書でした。大学の授業にも出ず、一週間この本と格闘したのです。
大学は紛争のただ中でしたから、休講に次ぐ休講、全学ストライキの時代でした。学生集会や全学集会に行くよりも、わたしはこの本にかじりつくように読みふけっていました。それまで知っていた聖書の知識を、すべて根底から覆す論述に限りないスリルを感じるという時間でした。いままで知らなかった世界が目の前に開かれていくという実感を持ちましたし、読み慣れていた旧約聖書の箇所から、どのような考察が引き出されるのかをわくわくしながら読んだのです。著者ウェーバーの斬新な解釈に、完全に圧倒されていました。
周囲の騒音が全く聞こえなくなるような状態にまで没入し、時間を忘れて読むという日が続きました。寝食を忘れるという初めての経験をしました。同室の同僚や上級生が不思議に思い、「お前、何を読んでいるのだ」というので、マックス・ウェーバーの『古代ユダヤ教』ですと答えたことを思い出します。寮生は、当時、マルクスやヘーゲル、カントの本を当たり前のように読んでいましたし、夏目漱石や森鴎外、吉本隆明、丸山眞男などは、教養として必ず読んでいました。ウェーバーの著作としては『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などが一般的に読まれ、寮内での雑学論議の題材となっていました。しかし同じウェーバーの『古代ユダヤ教』に夢中になっているわたしを、彼らが奇異な目で見ていたのは事実です。この本のすごさはどこにあるのかを、先輩を前に夢中で力説したこともありました。

ウェーバーが論じている、ヨーロッパ世界を形成した合理主義的な精神や宗教思想、それを支えるエートスが旧約聖書の世界、ヘブライズムの世界に由来しているという論説そのものに取りつかれ、わたしは夢中になっていたのです。レビ人のトーラー(モーセの律法の書)と預言が、ウェーバーの宗教社会学的考察の鍵として使われています。そして、キリスト教を生み出す要因となった第二イザヤによる苦難の僕(しもべ)の預言(イザヤ書53章等)の位置づけを読み、大きな感銘を受けたのです。旧約聖書の読者であったわたしを、間違いなく新天新地に導きいれた本でした。
この本との出会いが実現したのは、解き明かしたいと求めていた問題に(神義論)、明確に学問的な答えを出してくれたことによるのです。ウェーバーの社会科学的方法論に心酔してしまいました。偶然にも、同じようにウェーバーの『古代ユダヤ教』との出会いを経験されていた関根正雄先生との出会いへと、後にそれが繋がるのですが、不思議な出会いの縁(摂理)を感じました。この本との出会いがなければ、旧約聖書を学問的に考察するという人生を歩まなかったのは言うまでもありません。
是非、皆さんにも、読書の楽しみを味わっていただきたいのです。本との出会いは、あなたの人生を新しい境地へと導きます。

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