学長室だより

「新発田市遺跡出土品展」を見ました

春一番、春二番は北国では冬の嵐のように吹き荒れました。その後、春の日差しを浴びて街中の雪も消えていきました。

新発田市遺跡出土品展は今まで、毎年今ごろに新発田市歴史図書館(旧新発田市立図書館)坪川記念室で開催されていましたが、今年から大学の学生寮のあるMINTO館に隣接するイクネスしばた展示室で開催され、2月17日から3月15日まで開催中です。

今回は「郷土の遺跡と地域史研究者:その足跡をたどって」というテーマで展開されています。昨年度の遺跡展で見た紫雲寺の米子小学校の校長であった大木金平の『郷土史概論』については、昨年の9月2日の「学長室だより」で紹介しました。

今回の遺跡展では、大木金平以前と以後のさまざまな人々の活躍を展望することができました。
その中でも関心を持ったのは、柏崎出身で旧制新発田中学(現、新発田高校)において地理を教えた金塚友之丞(きんづか・とものじょう)です。

2017.3.3学長ブログ

金塚友之丞が作図した聖籠・紫雲寺線(県道3号線)に沿って縄文式・弥生式土器が発見された地点

 

今から80年ぼど前に平安時代に越後国を描いた「康平図」(昨年9月2日ブログ写真)の真偽論争が大木金平と金塚友之丞の間で論争されました。旧安田町出身の歴史地理学者の吉田東伍が平安時代の貞観地震の津波が多賀城まで到達したことを111年前に指摘していたことが、6年前の東日本大震災以後に再評価されました。私は江戸時代に加筆された文字から、「康平図」は平安時代の津波の到達点を表す重要な地図と再評価すべきだと思います。(山田 耕太)