学長室だより

地域社会を理解する教材の開発

「山路来て 何やらゆかし すみれ草」(芭蕉)。平地でも可憐なすみれの花が咲いています。田に水が入り、初夏のような陽気になり、田植えの準備が整いました。

先週26日水曜には、地域創生のための「地(知)の拠点」(COC+)を目指した新潟都市圏大学連合の7大学の会合が新潟市でありました。今回は地域社会を理解するための学生や社会人向きの教材『みなとまち新潟の社会史』(仮題)を開発して出版することを協議しました。

新潟は北前船の重要な寄港地であり、明治初めに開港五港の一つとして開かれて発展してきました。今後は西港と東港の二つの港を擁して、日本海の対岸の国々との交流の拠点、さらに首都圏への物流の拠点となることが期待されています。

この教材の構想を伺っていると、本学が行っている阿賀野川より北の「阿賀北」地方の新発田・聖籠を中心にした地域学の教材を作るとしたらどのような構成になるだろうかと考えてみました。それは「港」ではなく、「道」を中心にした教材になるのではないか思いました。

縄文・弥生時代からの道に始まり、奈良時代の北陸道、そこから枝別れした出羽街道・会津街道。芭蕉が「奥の細道」で歩いた江戸時代の出羽街道は山北町の山の中に残り、江戸時代の会津街道の石畳の跡も津川の山の中に残っています。やがて、中世には川と水路が重要になり、それらは明治・大正以後に鉄道に変わり、現代の車社会では高速道路を中心にした道路網に変わりました。時代の変遷に伴い、生活も大きく変わってきました。(山田 耕太)

2017.5.5学長ブログ

スミレが咲いていた「奥の細道」で芭蕉が歩いた山北町の出羽街道

2017.5.5学長ブログ

津川の山中に残る会津街道の石畳跡