学長室だより

「天には栄光、地には平和(グローリア)」(2018.12.21 C.A.H.クリスマス・キャンドル・サービス)

20181221チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

クリスマスおめでとうございます。クリスマスのメッセージは何でしょうか。それは「平和」です。今年は平和を考える特別な年となりました。5月に広島平和文化センター長のスティーブ・リーパー氏の「競争・戦争の文化から平和の文化へ」、10月に昨秋ノーベル平和賞を受賞したI CAN日本事務局 三宅信雄氏の広島での被爆体験と核廃絶運動の講演、11月に本学名誉文化博士の小和田恆氏の「国際法とともに生きた60年余りの人生」という平和に関する3つの得難い講演、さらに学生たちの広島・長崎訪問報告も聞くことができました。

ルカ福音書1-2章のイエスの誕生物語は、ザカリアとエリサベトという年老いた子宝に恵まれない夫婦とヨセフとマリアという年若い未婚の婚約者のカップルに、不思議な方法で洗礼者ヨハネとイエスが誕生する物語で構成されています。その中で、マリアの讃歌「マグニフィカート」、ザカリアの讃歌「ベネディクトス」、天使の讃歌「グローリア」、シメオンの讃歌「ヌンク・ディミッティス」という4つの讃歌を中心にして展開されます。

今読んでいただいた聖書の言葉は、ルカ福音書のイエスの誕生物語の「天使の讃歌」の言葉です。マリアとヨセフが人口調査のためにヨセフの故郷ベツレヘムに行くと、大勢の人で宿屋には馬小屋以外に泊まる場所がなく、マリアは月が満ちて馬小屋で出産します。そこに天使の大群が現れて神を賛美して「いと高き所には栄光神に(あれ)!地には平和み心に適う人々に(あれ)!」と歌いました。「天には栄光。地には平和」です。ラテン語では前半は「グローリア・インエクセルシス・デオ」となり、天使の讃歌は「グローリア」と表現されます。

「天には栄光」の「栄光」(ヘブライ語「カーボード」)は、神の性質を表わす極めて重要な言葉です。神は天で光に満ちて溢れ、栄光に輝く存在として表現されます。モーセがエジプトを脱出してイスラエルの民を導いた時も(出エジプト記33:7-11, 40:34-38)、ソロモンがエルサレムに神殿を立てて神に献げた時も神の「栄光」に溢れ(歴代誌下7:1)、天上の世界の天使も神の栄光で輝いています(イザヤ書6章、エゼキエル書1:13)。大自然の中で天の星も大地も海も、神の栄光で満ち溢れています(詩編19編、57:6, 12他)。

「地には平和」の「平和」(ヘブライ語「シャーローム」)も、神と人間の間、人と人との関係を表わす極めて重要な言葉です。「平和」とは、食べ物や着る物や住まいが与えられ基本的人権が守られているという人間の最低生活を満たす「積極的平和」と、人と人の間に争いがなく、民族や国の間に戦争がないという「消極的平和」の両面があります。すなわち、人権を守る「積極的平和」を土台にして、争いや戦争がない「消極的平和」が築かれるのです。それと同時に「平和」という言葉は「平安」という意味をも表わします。すなわち心の内側に「不安」ではなく「平安」があって、人と人の間に「平和」な関係が築かれていくのです。

キリストの誕生は、「権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」(「マリアの讃歌」ルカ1:52)「平和の道に導く」(「ザカリアの讃歌」ルカ1:79)ものであり「安らかに〔=平安の内に〕人を去らせる」(「シメオンの讃歌」ルカ2:29)すなわち「平和の福音」をもたらすことにあります。

イエスの願いは、「平和を創り出す者は幸いである。その人は神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)という言葉に要約されます。しかし、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とヨハネ福音書が象徴的に表現しているように、「この世」は「暗闇」に包まれています。「平和」を求めているのに、この地上に「平和」がなかなか実現しないことは、毎日のように私たちが目にし、耳にしているニュースに溢れています。いかにこの世の「暗闇」が深いかを感じさせられます。どのようにして「平和を創り出す」のでしょうか。

ヨハネ福音書によるとキリストの誕生は「言(葉)は肉(体)となって、私たちの間に宿られた」(1:14)と表現されています。「宿る」という動詞は、「テント」という名詞から派生した動詞です。キリストが私たちの間に「宿る」とは、キリストの「平和を創り出す」願いが私たちの心の内に「宿る」「テントを張る」ことを意味します。どうしたら平和を創り出すことが可能になるのでしょうか。それは「フランシスの平和の祈り」(基礎演習ハンドブック冒頭)の「慰められることよりも慰めることを、理解されることよりも理解することを、愛されることよりも愛することを」という受動的な心構えではなく、積極的な心構えで生きていくことです。(山田 耕太)

       聖フランシスの平和の祈り

   主よ、私を平和の器にして下さい。
   憎しみのあるところに愛を、
   傷のあるところに赦しを、
   疑いのあるところに信仰を、
   絶望のあるところに希望を、
   暗闇のあるところに光を、
   悲しみのあるところに喜びを蒔かせて下さい。

   おお、聖なる創造者よ、
   慰められることよりも慰めることを、
   理解されることよりも理解することを、
   愛されることよりも愛することを、
   私が求めるようにして下さい。
   私たちが受けるのは与えることにおいてであり、
   赦されるのは赦すことにおいてであり、
   永遠の命に生まれるのは死ぬことによってであるからです。