学長室だより

平和の訪れ(2020.12.18 C.A.H.クリスマス説教)

20201218チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

皆さん、クリスマスおめでとうございます。クリスマスは「光の祭り」です。キャンドルサービスのろうそくの光も、夜空に輝くクリスマスツリーの光も、今賛美した「荒野の果てに」の「グローリア」(栄光)も、みな光を讃えています。クリスマスは「希望の光」であるキリストの誕生をお祝いするのです。ところで皆さんは、キリストの誕生を祝う日をどうして「クリスマス」というか、知っていますか。「クリスマス」は「キリスト」(ギリシア語ではクリストス)と「マス」すなわち「ミサ」(聖餐式)の合成語です。中世の時代から「クリスマス・イブ」にキリストの誕生を祝って教会でミサすなわち聖餐式を行うことから「キリスト・ミサ」すなわち「クリスマス」と呼ばれるようになったのです。

それではいつから12月25日をキリストの誕生日を祝うようになったのでしょうか。新約聖書ではキリストの十字架と復活を描いた受難・復活物語は4つの福音書の最後に出てきて、多くのスペースが割かれています。最初に書かれたマルコ福音書では16章の1/3が最後の1週間に割かれています。しかし、誕生物語はマタイ福音書とルカ福音書にしか描かれていません。福音書で一番大切なのは受難・復活物語であったのです。新約聖書の書かれた紀元1世紀には復活祭(イースター)はお祝いしていましたが、クリスマスは祝っていませんでした。キリスト教では復活を記念するために安息日をユダヤ教の土曜日から復活の朝の日曜日に変えたほどでした。

しかし、マタイ福音書やルカ福音書に見られるように次第にイエスの誕生への関心が見られるようになってきました。最初にイエスの誕生日を考えた2世紀の人々は、春ではないかと考えました。それは第一に、パレスティナで羊飼いが野宿をして夜通し羊の番ができるのは春から秋にかけてであり、第二に古代の人々は天地創造した最初の日の記述に「夕べがあり、朝があった。第一の日である」(創世記1:5)とあり、昼と夜の長さが同じ春分の日ユリウス暦で3月25日に天地が創造されたと考えました。そして、キリストは「義に太陽」(マラキ3:20)と考えられ太陽の創造は4日目で、3月28日がキリストの誕生日と考えたのです。

3、4世紀のローマ帝国の西側で広まっていたのは、ペルシャ太陽神のミトラ教でした。ミトラ教はローマ軍の兵士の中で広まり、軍隊の移動に伴ってローマ帝国内で広まっていきました。ミトラ教では、太陽の子ミトラの誕生日がユリウス暦による冬至の日12月25日に松明をたいて太陽の力の復活を祈りました。西のキリスト教(後のカトリック・プロテスタント)では真の神の子はミトラではなくキリストだと対抗して12月25日をキリスト誕生日として祝っていました。

ローマ帝国の東側で広まっていたのは、エジプトの女神イーシス崇拝でした、イーシスとオシリスの子、ホルスの誕生日は1月6日でした。東のキリスト教(後のギリシア正教・ロシア正教)では真の神の子はホルスではない、真の神の子キリストが現れたのだ、と対抗して1月6日をキリストの顕現した誕生日(エピファニー)として祝っていました。

やがて、313年にローマの皇帝コンスタンティヌスがキリスト教に回心してローマ帝国の国教化の道が開かれると、4世紀半ばに皇帝ユリウス1世は12月25日をクリスマスとして定める布告を出して、12月25日から1月6日までの12日間を降誕節と定めました。4世紀の後半になって12月25日をクリスマスとする習慣が世界中で広まっていきました。現在でもアルメニアのように1月6日にクリスマスを祝っている地域もあります。

さて、クリスマスのメッセージとは何でしょうか。それはベツレヘムで羊飼いたちが羊の番をしている時に天使が現れて神を称えて歌った「天使の讃歌(グローリア)」の歌詞「天には栄光、地には平和」(ルカ2:14)に端的に表現されています。神の天上の世界は光り輝く栄光と平和に満ち溢れています。

それに対して、地上では闇が支配しており、嘆きや悲しみや苦しみがあります。アメリカ大統領選挙の際に顕著になった人種差別による分断があり、身分差別や男女差別による分断があります。とりわけコロナ禍の中で明らかになってきたのは貧富の格差による分断です。そうでなくても国と国の交流はコロナ禍により鎖国のように分断され、人と人との交流も絶たれています。暗い社会がますます暗くなっていきます。
 
しかし、「地には平和」と天使は歌いました。キリストの誕生によって天上の「平和」が地上にもたらされたことを告げているのです。それでは「平和」とは何でしょうか。現代の平和学の父と呼ばれるヨーハン・ガルトゥングは「平和」の反対は「戦争」ではなく「暴力」であるとしました。また、平和には「目に見える平和」と「目に見えない平和」の二つのコンセプトがあることを指摘しました。「目に見える平和」とは「目に見える暴力である、戦争がない状態」のことを言います。「目に見えない平和」とは「目に見えない構造的な暴力がない状態」すなわち「貧困・抑圧・差別から解放されて人権が保障されている状態」のことを言います。キリストは「戦争」からも「構造的な暴力」からも解放するために、この地上にやってきたのです。

人と人との間を根本的に断絶するのは「コロナウイルス」ではありません。人を「人」と思わない「敵意」です。エフェソ書2章14節にはキリストの十字架の本当の意味が書いてあります。キリストは十字架の上でユダヤ人と異邦人という人種を隔てる人間の心の奥底にある「敵意」という目に見えない壁を打ち壊して平和を打ち立てたのです。

   「キリストは私たちの平和であります。(ユダヤ人と異邦人という)二つのものを一つにし、
   ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、……こうしてキリストは、双方をご自分において
   一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:14)

その結果、「ユダヤ人もギリシア人(に代表される異邦人)もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません」(ガラテヤ3:28)という人種差別も、身分差別も、男女差別もない平和な社会が築かれていくのです。まず第一に神と人間の間にある「敵意」が取り去られ、続いて人間と人間の間にある「敵意」が取り去られるのです。

私たちもキリストの誕生を祝い、心の中に「平和の君」であるキリストを迎え入れ、人に対する「敵意」を打ち砕いて、「平和を創り出す人」(マタイ5:8)となっていきましょう。敬和学園大学の校歌の一節にあるように「名もなく弱く、傷ついたそんな隣人にこそ、よりそえるものとなりたい」ものです。敬和学園大学での学生たちの学びが祝され、ご家庭が祝され、一人ひとりが、心の中に希望の光であるキリストを迎え入れて成長していき、「平和の器とし給え」、「我らに平和を与え給え」。(山田 耕太)