神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

2017年度前期 卒業式式辞[2017-09-27]

20170927前期卒業式17

卒業生一人ひとりと固い握手

 

卒業生の皆さん、ここに至るまでいろいろな困難があったと想像しています。それらを克服して、今日の日を迎えることができたことを心からおめでとうと申し上げます。皆さんは私の授業も熱心に出席してくださいましたので、聖書のテキストを用いて、はなむけの言葉を送りたいと思います。

出エジプト記3章14節はモーセの生涯の転換点となる有名な個所です。神の性質を表した神の名前が表現されている重要な箇所でもあります。モーセはユダヤ人であったにもかかわらず、母親の機転と不思議な導きで、エジプト人の王宮で育てられて成人します(出エジプト記1章~2章前半)。

モーセが40歳のころ、同胞のユダヤ人の奴隷がエジプト人の監督からひどい仕打ちを受けているのを止めようとしたところ、力余ってエジプト人の監督を殺してしまい、シナイ山のふもとに逃れて、そこで羊飼いとして過ごします(出エジプト記2章後半)。

それから40年経たある日のこと、シナイ山のふもとで羊を追っていると灌木が火を噴くように燃えている不思議な光景を目にします。やがてそれが神の現れであることに気づきます。神はモーセにエジプトに帰ってイスラエルの民を導き出すことをモーセに命じます。モーセは過去に犯した大きな過ちと自分がその器ではないことで躊躇します。その時の神の言葉が出エジプト記3章14節です。

モーセが神に「あなたの名前は何ですか、あなたは誰ですか」と問う質問に対して、神は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と答えます。これは神の名前である「ヤハウェ」という固有名詞が、ヘブライ語の「ある」「存在する」という動詞から派生していることを意味しています。「神は存在する」「すべてのものの存在の根拠として神は存在する」という意味の名前だと神は答えます。「存在の根拠としての神」という中世哲学以来の神の性質の議論はここから派生しています。神はあなたが意識していようと意識しまいと、あなたの存在を絶えず支えていてくださる「命の源」であるのです。

王であり詩人であるダビデは、詩編139編1-10節の中でそれを次のように詩的に表現し、告白しています。
  主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。
  座るのも、立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
  歩くのも、伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
  わたしの舌がまだ一言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。
  前からも後からもわたしを囲み、御手でわたしの上に置いていてくださる。
  その驚くべき知識はわたしを越え、あまりにも高くて到達できない。
  どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。
  どこへ逃れれば、御顔を避けることができよう。
  天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、
  陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。
  曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、
  あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、
  右の御手をもってわたしをとらえてくださる。

ダビデはこのようなことを告白した上で、23-24節で我に返って新たに生きる決意を述べます。
  神よ、どうか、わたしを究め、わたしの心を知ってください。
  わたしを試し、悩みを知ってください。
  ご覧ください、わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
  どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。

時がよくても悪くても神は共にいてくださり、あなたの存在の根底から支えてくださいます。あなたの将来の道が開かれ、あなたの存在が祝福され、幸せな生涯となりますように心からお祈りいたします。

2017年9月27日
敬和学園大学長 山田耕太

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