神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

「我一人で立つ(ローマ1:16-17)」(2017.10.6. C.A.H.)[2017-10-06]

9月30日に敬和学園の法人・高校創立50周年/大学創立25周年を祝いました。今年は世界史的に見ると、中世から近世へと大きく転換したルターの宗教改革500周年記念の年です。10月31日の宗教改革記念日の前後にはさまざまな行事が世界中で行われます。ルターはヴォルムスで宗教裁判にかけられた時に「我ここに立つ」(Hier stehe Ich = I stand here)という有名な言葉を残しました。それはたった一人で裁判に立つ決意を述べています。ここでは「一人で」を強調して「我一人で立つ」と意訳してみました。一人から改革が始まるのです。

20171006チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

マルチン・ルターは1483年にアイスレーベンで生まれました。ルターの父ハンスは苦労の末に鉱山業を営み、子供の教育には熱心でした。ハンスは裁判官や役人になるには大学で法学を学ぶのがよいとマルチンに勧めました。地元の人々は大学に進学するのならエルフルト大学がよいという評判であったので、エルフルト大学で教養課程を終え、法学を専門に学ぶために大学院修士課程に進学し、一年目の21歳の時のことでした。休みに実家に戻りエルフルト大学に向かう途中で雷が近くに落ちてあわや死にそうな経験をします。その時、思わず中世の聖人マリアの母に「聖アンナよ、助けたまえ」と祈り、助かったら修道士となる誓いをしました。落雷から2週間も経たないうちに親の反対を押し切って、ルターはエルフルトのアウグスティヌス会修道士となりました。

ルターは修道士となって「私はいかにして恵みの神に会うことができるのか」という目標に向かって研鑚を積んでいきました。その中で、ルターは内面ではよい行いをすることができない自分との葛藤で、良心の呵責に苛まされ、苦悩が深まっていきました。しかし、同時に、頭脳明晰であったルターは神学博士となり、29歳の時から新設のヴィッテンベルク大学で聖書講義を始めました。

詩篇講義を始めて詩篇31編1節、72篇2節にある「あなたの義をもって私を助けてください」(口語訳。新共同訳「恵みの御業」)という難解な語句にぶつかりました。中世まで「神の義」とは「神の裁き」を意味していたのです。この解釈上の難解な問題と内面の葛藤の問題を抱えたまま、ルターはローマ書の講義に取りかかりました。そこで、冒頭のローマ書1章16-17節の御言葉と出会いました。「神の義」とは中世の人々の解釈「神の裁き」ではなく、3章21節以下に記されているように、「神の恵み」による「罪の赦し」、すなわち「贖宥状(免罪符)」によるのではなく「十字架」による「罪の赦し」を再発見したのです。ルターは次のように述べています。

「修道士としての私の行動は咎めるところのないものであったけれども、私は神の御前に罪人であって、良心の平安を見出すことができなかったことを自覚した。・・・このために、私は罪人を罰する義の神に対し、とても愛をもてなかったし、かえってあの当時、隠された冒涜でなかったとしても、恐るべきつぶやきをもって、神に反逆した。・・・私は恥も知らずに、パウロの戸をたたいた。・・・私は日夜そのテキストを研究した。そこで私は「神の義」とは神の賜物のことで、それを媒介として、義人は信仰によって生きるということを神の恵みによって理解し始めた。次に、私はその意味を理解した。福音を媒介にして、「神の義」は受け身の義として啓示され、それによって憐れみ深い神は、『信仰によって義人は生きる』と書いてあるとおり、信仰において私を義としたもうと。新たに生まれてパラダイスそのものの中へ入ったように私には思われた。」(1545年ラテン語版著作集序文)

ローマ書のテキストを再発見したのは宗教改革の2年前でした。その後、ガラテヤ書・ヘブライ書・再び詩編の講義を経て、再発見が確信に変わっていったのです。そして1517年10月31日に、当時のスコラ神学(スコトゥス、とりわけガブリエル・ビールの神学)を批判して「95箇条の提題」をヴィッテンベルクの城教会の門に張りつけたのです。ここから「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」という宗教改革の原理が生まれてきました。宗教改革のエッセンスはルターの三大改革書の一つ『キリスト者の自由』に記されています。その前半では、神の言葉によって魂が解放されること、後半では与えられた自由を隣人愛に用いることを指摘していいます。

宗教改革はたった一人の気づきから始まり、やがて時代を画する世界的な運動へと広がっていきました。YMCA/YWCAもロンドンのウィリアムズ牧師一人から始まりました。世界最大のNGO組織国際赤十字もアンリ・ジュナンというスイスの一青年から始まりました。私たちも何か始める時に、たった一人の気づきから始めることがあるかもしれません。その時は勇気をもって大胆に一歩を踏み出しましょう。パウロは問題の多いコリント教会への助言の結びで「動かされないようにしっかり立ち、主の業(隣人愛)に励みなさい」(Ⅰコリント15:58)と勧めています。しっかりと立つために、しっかりと学びましょう。祈りましょう。(山田 耕太)

ページトップ

メールを送る

このサイトについて | 個人情報について | ソーシャルメディア・ポリシー | 採用情報