神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

「木には希望がある」(2019.4.26. C.A.H.入学記念植樹式説教)[2019-04-26]

20190426チャペル・アッセンブリ・アワー1   

   木には希望がある、というように
   木は切られても、また新芽を吹き
   若枝の絶えることはない。
   地に降ろしたその根が老い
   幹が朽ちて、塵に返ろうとも
   水気にあえば、また芽を吹き
   苗木は枝を張る。(ヨブ記14:7-9)

4月に入ってキャンパスでは春の日差しを浴びて、2本の寒緋桜、73本のソメイヨシノ、3本のしだれ桜、23本の八重桜が次々と満開してきました。まるであたかも、桜の木々によるシンフォニーが次々と展開されてきたように感じます。桜を始めとする落葉樹の木々は、紅葉の秋を過ぎると、秋風が吹くたびに次々と落葉していき、木々は丸裸となって、長い冬の寒さにじっと耐えてきました。昨年の冬には、進入路のケヤキの木や前庭の杉の木立は、髪の毛を散髪するかのように枝木を切り落として、すっきりとした街路樹や杉林となりました。

「木には希望がある。木は切られても、また新芽を吹き、若枝の絶えることはない」とありますように、地中に根がしっかりと生えていれば、まるであたかも枯れ木と思われるような木々でさえも、長い冬に耐えて春が来れば緑の若葉をつけて新緑の季節を迎えます。また夏の盛りには新緑の葉は緑を深めて、生い茂り、うっそうとした緑の樹木へと成長していきます。このような樹木の成長を支えて、次第に年輪を重ねて幹の太い木にしていくのは、地中にしっかり張った目には見えない根があるからです。私たちも大きな樹木へと成長していくためには、しっかりと根を張る必要があります。土の中にしっかりと根を張った「木には希望があります。」樹齢が百年、あるいは数百年となって、「地に降ろしたその根が老い、幹が朽ちて、塵に返ろうとも」、根が生きていれば、「水気にあえば、また芽を吹き、苗木は枝を張り」美しい桜の枝が滝のように垂れ下がって桜の花を咲かせる大樹にもなります。

大学で学ぶ学問は、氷山に喩えることができます。氷山は海面に浮かんで見える氷以上に大きな見ない氷が海面下に沈んでいます。学問の対象である文明は、政治・経済・社会・法律のように日々刻々と変化していく表層部分と、歴史・文化・思想・宗教のように長い時間経過でゆっくりと変化していく基層部分に分けられます。文明の表層部分と基層部分は実は深いつながりがあります。また、それは木に喩えることもできます。文明の表層部分は、木の枝や花や実にあたり、文明の基層部分は木の幹や根にあたると言えます。どのようなことを学ぶにも、自分の根をしっかりと張り巡らせてしっかりと学んでいきましょう。そして自分の人生を切り開いていくのに必要な羅針盤や座標軸になる価値判断の基準となる根っこにある歴史・文化・思想・宗教に親しんでいきましょう。さらに「信仰、希望、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大切なのは愛である」(Ⅰコリント13:13)とありますように、「信じること、希望を失わないこと、愛すること」に根差した生き方を身につけて成長していきましょう。それを象徴する行為として今からユリノキを植えます。入学した時に植えたユリノキの成長を見て、自分の成長の見比べてみてください。

   主の教えを愛し、その教えを夜も昼も口ずさむ人。
   その人は流れのほとりに植えられた木。
   時が来ると実を結び、
   その葉もしぼむことはない。(詩編1:2-3)
   神に従う人の根は揺らぐことはない。(箴言12:3)
   神に従う人の根は実りを与える。(箴言12:12)

(祈り)「あなたの若い時に、あなたの創り主を覚えよ」(コへレトの言葉12:1口語訳)とありますように、創造者に思いをはせて、与えられた人生をいかに生きるかを考え、価値観の基準となる座標軸を身につけていくことができますようにお導きください。アーメン。(山田 耕太)

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