学長室だより

平成から令和へ:西暦と和暦について

田起こし、田の畔切りが終わり、田んぼに水が入り、田植えの準備が整いました。ハナミズキの街路樹が満開です。キャンパスの丸く刈り込まれたドウダンツツジも小さな満開の花をたくさんつけています。

2019.5.3学長ブログ

キャンパスのドウダンツツジがたくさんの花をつけています

 

日本では5月1日の天皇の代替わりと共に、平成から令和へと元号が変わりました。敬和学園大学は、キリスト教主義大学ですので原則として西暦を用いています。しかし、文部科学省や県や市町村に出す書類には和暦を用いています。西暦は、キリストの誕生を中心にして、「キリスト以前」(英語:Before Christ)の「紀元前」(B. C.)と「主の年」(ラテン語:Anno Domini)の「紀元」(A. D.)とする表記を用いて年号を表わしてきました。
 
古代ローマでは西暦を用いる前には、日本と同じようにローマ帝国の皇帝の治世年「○○皇帝××年」を用いてきました。しかし、前に遡って年数を計算する時の不便さなどから、6世紀のディオニュシウス・エウシグウスがキリスト紀元を考え、それがローマ帝国内から世界に広まっていきました。ところが、18世紀後半に歴史学が成立し、現代ではキリストの誕生は紀元前6年から4年の間で、数年ずれていることが分かっています。

元号が令和に決まった4月1日に朝日新聞社新潟支社から電話でインタビューを受けました。グローバル化の進む時代に役所などでも和暦と世界標準の西暦を併記する必要があるという私の短いコメントが、知事や日本銀行新潟支店長のコメントと共に翌日の朝刊に掲載されました。その後、新潟日報新発田総局の取材を受けて、4月12日に平成から令和を展望したインタビュー記事「歴史、文化見つめ直すとき」が掲載されました。(山田 耕太)