学長室だより

2003年12月26日号

今年は暖冬だといわれるが、それでも北越はかなり寒くなってきた。さすがに師走である。東方に仰ぐ飯豊(いいで)山系は雪をかぶった。大学キャンパスの樹木には雪囲いがほどこされた。一本一本、その木の姿勢に合ったロープの当て方になっており、白い綱の結び目の切れ味がいい。市内の公園ばかりでなく、個人の家々も樹木に雪囲いをほどこして、木々に多彩な円錐の姿をあたえている。
学園のクリスマス・ツリーに火が灯されたとき、アッシジの聖フランチェスコの祈りが捧げられた。「疑いのあるところには信仰を」「絶望のあるところには希望を」「憎しみのあるところには愛を植える者と、われらをならせたまえ」と。まことに、こころの貧しい、寒いこの世界に、いま求められているのは「信仰と希望と愛」である。それ以外ではない。預言者イザヤは、「たとえおまえたちの罪が緋(ひ)のように赤くとも、雪のように白くなる」という創造主のことばを伝えている(イザヤ1:18)。人はひとりひとり「信」「望」「愛」の雪囲いをほどこされて、「雪のように白くなる」時の到来を待つことが求められている。 新発田はいま雪をまつ。 (新井 明)