学長室だより

「最も小さい者の一人に(マタイ25:31-40)」(2018.9.28 C.A.H.)

20180928チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

皆さん、おはようございます。この夏は日本では酷暑、集中豪雨、台風、地震とさまざまな自然災害が重なりました。しかし、よく考えてみると、日本で竜巻が起こったと14年前に初めて報道されてから、毎年のように大きな自然災害に見舞われています。日本の社会でも、スポーツ界ではラグビー、体操、相撲などの指導者のハラスメントの問題などが吹き荒れました。最近の言論界ではLGBTを差別する論文を取り上げた『新潮45』8月号を再び擁護する10月号で休刊に追い込まるという事態が続いています。また、森友問題・加計問題の疑惑を国会で解明しない安倍首相が三選されて首相の座につきました。これらは具体的には異なる問題に見えますが、実は同じ根から発している問題と思われます。

世界に目を転じても、トランプ大統領やプーチン大統領を支持する社会層ばかりでなく、ヨーロッパの社会でも移民を受け入れるか否かで、大衆迎合のポピュリズムが台頭しています。自由・平等・博愛の民主主義社会の土台が揺るがされるのではないかという危惧を抱かされます。こういう社会や世界の中で、よく考えて、物事を見極め、本質を見抜いていく力が求められます。このように嵐が吹きすさぶ時代に、根無し草や風見鶏のように吹きまわされないようにしたいです。若い時代に、私はいかに生きるのか、何をして生きるのか、と生きる方針を確立していくことが大切です。

先ほど読んでいただきました聖書個所は「羊と山羊の譬話」と呼ばれる個所の前半の「羊の譬」の部分です。これはマタイ福音書のイエスの「終末の説教」(24章)の結びに追加された三つの譬話の最後の譬話です。「人の子」というメシア称号で呼ばれるキリストが「栄光の座」という最後の審判の座につくときに、人々を「羊」のグループと「山羊」のグループに分けるという象徴的な話をします。

王さまと表象されるキリストは、羊のグループの人々を祝福して神の国を受け継がせます。なぜならば「私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」とその理由を言います。

その時、羊のグループの人々は「いつ私たちは、あなたが飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いているのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつあなたが旅をしているのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか」とまったく身に覚えがないことを列挙します。

それに対して、王さまは「(あなたがたの見知らぬ無名の)最も小さい者の一人にしたのは、私にしたのである」と答えます。一人ひとりは神さまに創られた尊い存在であり、一人ひとりは「神の似姿」(創世記1:27)である、誰でも「一人ひとりは等しく尊い」という考えがここに要約されています。

実はこのイエスの言葉は、預言者イザヤがメシアの到来したときを描いた次の預言の言葉を譬話で表現したものです。 

   更に、飢えた人にあなたのパンを与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ
   裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。
   そうすればあなたの光は曙のように射し出で、あなたの傷は速やかに癒される。
   あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る。 (イザヤ書58:7-8)

またこのイザヤ書の「最も小さい者の一人を大切に」という趣旨の言葉は、イザヤ書ばかりでなくエレミヤ書にも見出されます。それらは「寄留者(外国人)を虐待したり、圧迫したりしてはならない。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。貧しい者から…利子をとってはならない」というモーセの「ヘブライ的人道主義」(出エジプト記22:20-26)に遡る言葉です。

羊と山羊の譬話は、ヨーロッパ社会の根底に流れている修道院規則「ベネディクトの戒律」でも、病人や訪問者に対するケアに典型的に見られるように、その通奏低音となっています。また、羊と山羊の譬話は、トルストイ民話「人は何で生きるか」の元話でもあります。これは『人は何で生きるか』(岩波文庫、明治図書、他多数)の中に収められています。トルストイは19世紀のロシアの状況に合わせて、この譬話を再話したのです。そのあらすじは以下のとおりです。

貧しい靴屋の夫のセミョーンは、新しい暖かい毛皮の外套を買いに町に行きます。教会の礼拝堂の前で行き倒れの裸で凍えているミハイルと出会い、自分の着ているたった一つの古い外套までも与えて、自分の家まで連れて帰ります。妻のマトリョーナも家で焼いた残り少ないパンを与え、ミハイルは貧しい靴屋に住んで、靴屋の仕事を覚えていきます。

それから6年経ったある日のこと、金持ちが立派な皮を持ち込んで靴を作るように注文しますが、でき上がる前に死んでしまいます。しかし、ミハイルは先を見越してその皮で死者に履かせるスリッパを前もって作っておいて、注文に間に合わせます。その後に、双子の幼子を連れて女が靴を注文にきます。実はその女は母親ではなく、その双子の両親が相続けて亡くなった後に、自分の赤ちゃんと一緒に双子に乳を与えて育てた赤の他人だったのです。

そこでミハイルは自分が何者であるかを貧しい靴屋の夫婦に告白します。実はミハイルは神から罰せられた、墜ちた天使だったのです。しかし、次の三つのことが分かれば、天使に戻ることができる、と神から約束されて人間になっていたのでした。その三つとは、第一に人間の心の内に何があるか、第二に人間には何が与えられていないか、第三に人間は何で生きるかでした。

しかし、ミハイルは第一に、貧しい靴屋の夫婦から人間の心には愛があることを知り、第二に、靴を注文して死んだ金持ちから人間は明日に何が起こるか自分の運命を知ることができないことを知り、第三に、双子の乳飲み子を育てた女から、人間は愛によって生きることを知ったのです。こうして、ミハイルは人間が愛によってのみ生きることを知って、光輝く天使になって天に帰って行きます。

トルストイは羊の譬話を再話する時に、「愛は神から出たものである。すべて愛する者は神から生まれた者であって、神を知っている。愛さないものは神を知らない。神は愛である。」(ヨハネ第一の手紙、4:7-8)という聖書の言葉によって解釈し直して民話を創作しています。

さらにまた、「最も小さい者の一人にしたのは、私にしたのである」は、マザー・テレサの活動の源となる聖書の言葉でもありました。マザー・テレサは旧ユーゴスラビアのコソボ州(現在はマケドニア)のスコピエに生まれました。12歳の時に修道女になってインドで働きたいという思いを懐き、アイルランドの修道会で教育を受けて19歳から37歳までカルカッタの聖マリア学院で地理と歴史の先生として働き、最後には校長先生として勤めました。しかし、36歳の時に「最も貧しい人々に仕える」という神の召しを受けて、一人でカルカッタの貧民街で学校に行けない子供たちを教えることから始め、やがて身寄りのない人々や死にゆく人々を看取るという神の愛の宣教者会という修道会を立ち上げて献身していったことは皆さんがご存知のとおりです。

『ベネディクトの戒律』やトルストイの民話「人は何で生きるか」やマザー・テレサを支えていた言葉も「最も小さい者の一人にしたのは、私にしたのである」という同じ聖書の言葉だったのです。私たちも「名もなく弱く傷ついたそんな隣人になりたい」と最も弱い立場の人々に配慮する生き方をしていきたいものです。祈りましょう。(山田 耕太)