チャペルのひびき

平和のために「闘う」こと

チャペル・アワーは、藤野豊先生(国際文化学科教授)が、20年前、小泉政権時、ハンセン病隔離政策に対する裁判所の判決への控訴断念を政府に求めて、逮捕覚悟で座り込みをなさった時のお話をしてくださいました。その時、キリスト教の牧師の方々もその抗議の輪の中にいたことを心強く思われ、主イエスの教えに従う生き方の典型をその方々の中に認められたとのことでした。主イエスの教えに従う生き方とは、「名もなく弱く傷ついたそんな隣人にこそ寄り添える者となりたい」との本学の校歌の歌詞に端的に記されている生き方にほかなりません。アッセンブリ・アワーでは、新潟YWCA会長の横山由美子先生が、YWCAの活動内容、また市民として携わっておられる活動についてご紹介くださいました。青年を巻き込んでの環境活動、ジェンダー平等のためのお働き、国際支援活動、「おらって市民エネルギー協議会」の取り組み等を通して、すべての人がありのままの存在において認められ、人として生きることが可能とされる社会形成のために(これ、すなわち平和のために)「闘う」ことの具体例をお示しくださいました(その「闘うこと」の中には、ご自身の弱さも含まれているとのこと)。先ほどの校歌には「愛する勇気求めてゆこう」という歌詞が続きますが、藤野先生、横山先生の「闘い」の土台となっているのは、主イエスに教えられた「愛する勇気」であるのでしょう。私たちもそこに連なるものとなりたく思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「2001年5月21日首相官邸前」 教授 藤野豊 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「闘うということ」 新潟YWCA会長 横山由美子 先生

<参加学生の感想>
感想1) 藤野先生の「逮捕されてもいいと思ったことが何度かある」という一番初めの言葉にまず衝撃を受けました。“逮捕”と聞けば、誰もが人生の中で逃れて生きたいものだと思います。自分の人生を棒に振る、台無しにするということは、絶対に嫌だと私は考えていました。しかし、藤野先生の抗議活動の内容やその当時の心境についてのお話を聞き、人権を守ること、自分の人生を自分の意志に従って生きていくことの大切さを学ぶことができたと同時に、自分だけでなく、誰かの人生のために戦うことも、自分の人生と同様に大切なことであるということを学ぶことができました。
感想2) 自分が逮捕されてでも、差別にあったハンセン病患者を救いたいという気持ちがすばらしいと思った。友人や家族のためであったらそこまでするのは分かるが、不特定多数の人のために自分の人生をかけるのはなかなかできることではない。また、一緒に座り込みを行ったキリスト教団の牧師さんも、聖書の言葉を実行する、その熱心さがすばらしいと思った。「何かをする!」と心に決めていても、周りの目が気になり、やめてしまうことがあるが、自分自身や神など、何か信じられるものがあると、人は強くなれるものだと感じた。私も正しいと思うことは曲げずに実行していきたい。
感想3) 「あなたをあなたとして理解する」という言葉はとてもすてきだなと思いました。女性の地位向上というと、男性差別だとか、女性ばかり優遇しているなどと必ずと言っていいほど耳にしますが、もし日本で男女の地位が同じになったら、男の子は泣いたらだめだとか強くないと格好悪いなどというような、男性の世界にある圧も解消されて、「あなたをあなたとして理解」できるような社会になると思います。女性であるせいで扱いが悪かったり、話を聞いてくれなかったりする経験をした人はたくさんいると思います。そこで「おかしい」と言うと、「また女のヒステリーが始まった」とか「女は感情的だから」と返されて、自分一人が何か言ったところで何も変わらないから黙ってしまう人もいます。由美子さんの紹介にあったYWCAのお話を聞いて、立ち上がっている女性がたくさんいて、仲間がいるんだと安心しました。