学部・学科ブログ

「ベトナム・ハノイの人々とその暮らし」(「敬和キャンパスレポ」長坂康代先生インタビューより)

敬和学園大学の国際文化学科情報メディアコースでは、地元コミュニティFM、エフエムしばたの番組「敬和キャンパスレポ」を制作しています。番組で放送された内容の中から、今回は2023年6月2日放送、文化人類学担当の国際文化学科准教授、長坂康代先生へのインタビューをご紹介します。

長坂 康代 | 敬和学園大学 新潟県新発田市にあるリベラルアーツ大学

長坂先生が、2023年3月に出版された、著書「ベトナム首都ハノイの都市人類学」(刀水書房)についてお話をうかがいました。ベトナムをフィールドに文化人類学の研究を始めるようになった経緯、現地調査で知ったベトナムのこと、その成果を生かした佐渡での取り組みなどうかがいました。番組MCは、国際文化学科4年の神田智美さん、土門海音さんが担当しています。

敬和キャンパスレポ20230602告知画像

画像作成:宮澤幸羽さん(国際文化学科4年)

 

(以下はポッドキャスト配信した番組内容を、「高度なAI技術を用いて、ポッドキャストを自動的に文字起こしし、チャプター分けする」サービスLISTENで文字起こしし、必要な修正を加えたものです)

「長坂先生にきく、ベトナム・ハノイの人々とその暮らし」 敬和キャンパスレポ Vol.191 20230602 |敬和キャンパスレポ(番組noteへのリンク)


 

土門海音さん(以下土門)「今日のゲストを紹介します国際文化学科の長坂康代先生です。よろしくお願いします。」

長坂康代先生(以下長坂)「こちらこそよろしくお願いします」

神田智美さん(以下神田)「今回長坂先生は『ベトナムの首都ハノイの都市人類学』という著書を出版されました。おめでとうございます。

長坂「ありがとうございます。」

ベトナムをフィールドに「文化人類学」を始めるまで

神田「『ベトナム』『ハノイ』といったキーワードに心を踊らされつつ、『都市人類学』という専門的なキーワードも入っているということで、期待と不安が入り混じっていますが、先生のプロフィールや土門さんも参加したゼミのことを前半に、後半でご研究のことをうかがっていきたいと思います。」

土門「はい、では私土門から、長坂先生のプロフィールをご紹介します。長坂康代先生は、1994年に大東文化大学文学部中国文学科をご卒業の後、愛知教育大学大学院、名古屋大学大学院で学ばれ、2018年より敬和学園大学の国際文化学科の先生として勤務されています。ご専門は大学のWebページでは文化人類学、都市人類学となっています。敬和で担当されている授業は、文化人類学、地域学、地域文化論などとなっています。まず先生のプロフィールでいきますと、学部が中国文学科、その後最初に学ばれた愛知教育大学では、教育学国語教育のご専攻のようですね。その後文化人類学あるいはベトナムという国について深く学ばれるようになったということかなと思いましたが、何かをきっかけがあったのでしょうか。」

長坂「はい、愛知教育大学では漢文学専修に所属していました。論文のテーマに悩んでいた時、当時の指導教員だった北村良和先生から、『漢字文化圏の中でベトナムか北朝鮮かどちらかをやってみたらどうか』と言われたことがきっかけなんです。北村先生ご自身も、中国の漢文学を専門とされるだけでなく、先日25年ぶりにお会いした時、今はユダヤの研究をされているとうかがいました。北村先生の枠にとらわれないその発想力に私が素直に乗ったのがベトナムとの最初の接点です。その後も要所要所で、多くの先生方に指導してもらって、今に至ります。私自身はベトナム漢文学から入りハノイで長期滞在する中でフィールドワークを主とする文化人類学に傾倒していきました。MCの神田さんは、中国語を勉強しているそうですが、ベトナム語も発音が似ているのでベトナム語に入って行きやすいかもしれませんね。」

神田「実はあの(中国)留学していた際に、同じクラスに結構ベトナムの方がいらしゃったのですが、ベトナム語は漢字ではないんですよね。なんかアルファベットみたいな発音の音声の目印がついたみたいなそれだけでまず『なんか難しそう、大丈夫かな』みたいな感じなんですけれども。
これまでのご研究は主としてベトナムを対象にしたものが多かったのかと思いますが文化人類学者としてはそれ以外にも様々な国や地域に出かけていって学ぶ機会が多くあるのかと思います。これまでどんなところに行かれていたのかなどご紹介いただけますか。」

 

長坂「はい、人類学だと様々な国や地域に行くイメージがあるかもしれませんが、私の10年パスポートを見返してみるとベトナムとの往復のみでした。博士論文を執筆後は。ベトナムの国際移動を研究しています。東アジアにも研究範囲を広げ台湾韓国には何度も調査で訪れています・ただ若い時は、中国。台湾、香港、韓国、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、インド、エジプトなどを旅行してきました。学生時代は片道航空券でタイのバンコクまで行き、バンコクの旅行代理店で格安航空券を買ってたのでタイには何度も行ってます。当時は世界中から格安航空券を求めて若者が集まってきていました。旅のバイブルを持って移動するあてのない旅は時間も体力もいるので若かった頃こそできたのかなと思います。今となっては懐かしい思い出ですね。」

土門「すごいですね。私たちコロナ禍世代の学生は、海外に片道切符で行ってその場で格安航空券を買って旅行するなんて、想像つかないですよね。もう海外に行くだけで大きいハードルだから、そんな何カ国も渡り歩くっていうことがもう自分たちは考えられない。」

 

敬和でのムスリムに関する調査/佐渡宿根木での調査

土門「大学のゼミでは新潟県内のイスラム教徒ムスリムに関する調査、あるいは佐渡の宿根木での調査と、非常に活発な活動に学生たちを連れ出してくださっています。大学でのゼミの運営の考え方やこれまでの成果についても改めて教えていただけますか。」

長坂「はい、コロナで渡航制限される前は学生をベトナムに連れて行って、日本語学校で交流したり、少数民族の家を訪問したこともありました。近年は佐渡の宿根木集落での地域づくりが主たる活動になると思います。これまでの研究を地域や教育に還元する形で、宿根木の雰囲気に合う、ベトナム風路上茶屋を3年続けて開きました。学生と地域の方、観光客が、気軽にコミュニケーションを図ることができる緩やかな空間づくりを目指しています。またイスラムに関しては、ラマダンという断食に日没後の食事を作る手伝いをするためにムスリムの礼拝所である宗教施設モスクに行くことが多いですね。ゼミ活動はできる限り学生自ら考えて動くことができるように促しています。
今日のMCを務めている土門さんも、他の学生とアイデアを出し合って、モスクでムスリムの子どもたちと日本文化を通した交流をしたり、新潟大学のマレーシア留学生と茶話会をしたりしましたね。アンヌールモスクでは、6月から月1回日曜日にオープンマスジッドと称して、モスクをムスリムにも開放するということです。関心のある方はぜひ西区にある新潟大学近くのアンヌールモスクに行ってみてください。」

土門「私もたくさん活動参加させてもらって、どうしてもムスリムの方々と関わるっていうのはなんか今までの自分だとちょっと怖いなっていう、なんか自分の中で潜在意識というかあったんですけど、長坂先生のお話を聞いて実際に会ってみるともう皆さん本当に慣用的というかなんか『よく来てくれたね』みたいな感じでお食事も一緒に取らせていただいて、いろんな交流したり、新潟大学の留学生の方々とお話しした時も、同世代な子たちと共通点を見つけたりで、先生もびっくりするぐらい盛り上がってたみたいで、今思い出しても、すごい楽しかったなもっとみんなに参加してもらいたいなって思うような活動だったって思ってます。」

神田「そうなんですね。確かモスクって近くにありますよね。実は姉が長坂先生のゼミに所属していたことがありましてその時には確か食事を作って提供したりもしていたっていう話を聞いたことがあるんですけど。」

長坂「そうです。断食月に『イフタール』という日没後の食事をムスリムの方たちと一緒に作って、それをみんなで一緒に食べるということを神田さんのお姉さんもやりました。」

神田「何でしたっけ確か頭に何かかぶっていたみたいなの、、、」

長坂・土門「ヒジャブ!」

土門「私は当時ピンクのヒジャブをつけていて、たまたま服が緑色の服だったので『桜だね』という話になって、って時期も時期だったのでそこからピンクのヒジャブをずっとつけてましたね。

神田「一回つけてみたいんですよね」

土門「私おでこが広いので。それ隠すのすごい一生懸命だなんですけど周りの子達みんな可愛くこうなんか結んでて『長坂先生どうしよう!』なんて言ってたのが記憶に新しいです。」

神田「さて、ではここで一曲をお届けします。今日の曲はこちら。
Khởi My「Chuyện Cô Gái Nhỏ」
コイミーさんは1990年生まれのベトナムの女性歌手で、各SNSでのフォロワー数も非常に多くFacebookページのフォロワーは1000万人を超えているそうです。「Chuyện Cô Gái Nhỏ」(チュエンコガイヨ)は、「少女夢」というタイトルで、中国語でも歌われています。」

 


都市人類学は都市を調査研究する文化人類学

神田「後半は、私たちの力及ぶ限りで、ご研究、とりわけ新しいご著書についてのお話をうかがいたいと思います。
『ベトナム首都ハノイの都市人類学』という、本のタイトルにも都市人類学という言葉が入っています。文化人類学の一つのジャンルとして都市人類学があるのかなという印象を持ちました。まずこの言葉の使い分け、先生の意図されているところを教えていただけますか。」

長坂「はい、都市人類学は都市を調査研究する文化人類学の一分野なんです。都市には多様な人々が集まってきますが、私はその都市性に着目しました。文化人類学ではフィールドワークに基づいて、断片的な質的記述ではなく、エスノグラフィと言われる、全般的な民族誌が描けなければならないと指導されてきました。私はベトナムの首都ハノイで定点観測し、都市の人々の生活史を描きました。この本(『ベトナムの首都ハノイの都市人類学』)は学術書なので、内容は難しく感じると思うんですが、都市に住む人々の生活の記録でもあります。」

 

ベトナム・ハノイの人々の都市生活を記録する

土門「Amazonなどに出ている書籍の概要を読みますと、ハノイという都市に暮らす人々の実態を独自の視点で分析されたということかと思いますが、少しだけ踏み込みつつ、私たちにもわかるように教えていただくとどういう趣旨のご研究ということになりますか。」

長坂「人類学のフィールドワークは長期間行うのが特徴です。自らその土地の生活者となって、日々の生活を細かく記録します。人類学はこのような質的調査を行うのですが、
それを分析することで、私は政治都市ハノイであっても決して抑圧されない、人々の狡知、たくましさ、生き抜き戦略、生き生きとした生活動態を明らかにしました。都市人類学というとアフリカ研究は層が厚いのですが、ベトナム・ハノイの都市生活を初めて解明したという点では、意義のある研究だと思います。このようなことが鏡となって、私たちも自分を見つめ直すことができるのは、研究の醍醐味だと思います。

 

暮らしながら研究する生活

神田「ハノイに実際に定住して毎日人々の記録をつけてっていうことなんですか。どのぐらいいらっしゃったんでしょうか。」

長坂「最初1997年、98年ぐらいから滞在しまして、その時は人類学をやっていたわけではないので、記録が実はほとんどないんです。2004年ぐらいから本格的に人類学調査を始めました。そこから学生生活が長いので、いわゆる春休みとか夏休みを使って1ヶ月とか1ヶ月半ぐらいのスパンで滞在をずっと続けてきました。」

土門「私が実際にゼミの時にお話をうかがった時に、滞在していたときの食べ物はこういう感じで購入してたよ、とか、寝泊まりはこうだったとか、朝の様子はこうだったっていう。何だろう、もう、1日の生活についてきいたら、自分たちのその朝の習慣とやっぱり全然違うし、先生自身もそこはギャップを感じたんだとは思うんですけど、今の自分たちから見てみるともっと想像できない感じでした。朝ごはんだって、外で食べなくないですか。朝の食事をそこら辺の家族と一緒に食べますって、考えられないじゃないですか。お茶はこうやって飲んでました、みたいなのも(含めて)、嘘でしょ、っていうのがやっぱり第一印象です」

神田「今の日本の生活からすると、『いや違うな文化が』って思うわけじゃないですか。でもそこにちょっと長く住んでしまうと、そっちのほうがなんか普通になってきませんか。逆に日本に帰ってきて「なんか違わない?」って、逆になるんですか。その自分の感性としては。」

長坂「向こうにいる時はもう本当にどっぷり生活に使っていまして、1ヶ月 – 2ヶ月ぐらい(ベトナムに)滞在して、戻ってきてから分析する、ってその繰り返しをずっとしてきたんですね。
一番大変だった生活は、出稼ぎ労働者と一緒に住むということですね。村から出てきた人たちは、都市のはずれに住んでるんですけど、屋根裏部屋みたいなところで女性5人で寝泊まりするところに、雑魚寝で寝させてもらうんですが、蚊が入ってくるので夏は蚊帳をつるんですけども暑くて寝られないんですね。狭いところでもう5人くっついて寝るんですが、そこにネズミが、、、土門さんに話したことないんですけどね、想像しがたいような生活だと思います。トイレもないので、、、、。

土門「それは聞いてない部分だから、、、、(これまで)聞いてた一部がかわいく思えてきますよね、、、。」

ベトナムの「路上茶屋」を佐渡・宿根木に持ち込む

神田「そんな過酷な環境で研究されて、書き上げられた著書ですけど、目次を拝見しますと、ハビ亭、同郷会、それに路上茶屋といったキーワードが出てきます。路上茶屋といいますと、前半にお話しした、佐渡宿根木で、ゼミ生たちと路上茶屋を開かれていた、ということなんですけれども、佐渡に路上茶屋は合いましたか?」

長坂「そうですね、宿根木集落の雰囲気と、ベトナムの路上茶屋というのが、大変開放的な雰囲気がマッチしていまして、一つの交流の場所になったのではないかな、というふうに思っています。

神田「路上に開かれたベトナム風茶屋がある、という認識でまちがってないですか。」

長坂「そうなんです。屋根がない、壁がないところで、オープンなスペースで、お店を開くという形ですね。」

神田「提供しているお茶は、ベトナムのものなんですか?」

長坂「最初の2年は、ベトナムのお茶ではなくて、佐渡番茶を佐渡では提供しました。3年目は、ベトナムのお茶と佐渡番茶と両方提供しました。

神田「どっちも楽しめたほうがいいですよね。」

都市に移住した同郷たちが守る宗教施設「ハビ亭」
神田「それでは、ハビ亭なんですけれども。ハビ亭について、以前に大学の広報誌、カレッジレポートでも長坂先生が書かれていました。ここまでのご研究の話に、どのように関わるもの、ことなのか、少しご紹介いただけますか?」

長坂「ハビ亭は、私が住んでいたハンホム通りにある宗教施設の名前なんです。ハンホム通りは、ハビ村出身者によって作られた通りなんですが、ハビ亭はハビ村出身者のための集会所でした。それに多くの神様を置き、宗教を強化しています。私はハビ亭が時々開くのが気になり、漢文で書かれた歴史文献を探し、そこから研究に入っていきました。出入りする過程で、ハビ亭を中心として、ハビ村同郷会、日本で言えば県人会があることも分かりました。
私もその同郷会の会員として認めてもらい、一緒にハビ亭で活動したり、ハビ村の祭りに参加したりしました。
ハンホム通りには、外に路上茶屋がたくさんあるんですが、ハビ亭の中では、ハビ村出身者、ハビ村関係者やハンホム通りで店を開く店主らがお参りに来るだけではなく、お茶を飲んでコミュニケーションを図る茶屋のような空間もあります。このハビ亭を巡る同郷会組織とその運営は、地域社会の核になっています。」

神田「宗教を強化するっていうのは、具体的に、神様をいっぱい置くっていうのは分かるんですが、強化っていうとどういう形なのでしょうか。」

長坂「神様をたくさん置いて、取られないようにする。自分たちのものとして、そこを確立するということですね。実は、経済発展していく中で、政府が観光化をしていったんですね。こういった施設を、一旦全部取り壊しをして、新しくする。ただその時に、今まで民衆が主体となって運営してきたものを、行政が主体とするという風に変えていくわけですよ。そうならないように、ハビ村出身者の人たちが、このハビ亭を自分たちで守っていくと。そのために時間をかけて、神様をどんどん増やしていって、中も神にしていって、自分たちのアイデンティティを残していこうとしました。

神田「こうした都市住民の人たちの中に入って、経済発展による変化と人々とのつながり、
深く付き合いながら研究していく中で、ベトナムやアメリカ、ハノイのことはどんどん好きになっていったり、嫌いになっていったり、いろんな思いがあると思いますが、今はどんな感情をお持ちですか?」

長坂「都市部を中心に経済発展していって、現地に行くたびに、新しく道ができていたり、
大きな建物が建っていたりと変化しているので、ついていくのが本当に大変です。
ただ、ハノイで出会った人々には本当によくしてもらえましたし、今も変わらず、地域住民や大学の先生とは付き合いをさせてもらっています。
私たちの関係は変わらないのですが、知り合った時は小学生だった子が結婚し、子供が生まれ、私はおばさんからおばあちゃんと呼ばれるようになり、月日が経ったことを実感しています。
この数年で長年お世話になってきた地域住民のおばあちゃんたちが亡くなって世代交代していますが、これからも友好的な付き合いを続けていきたいと思っています。

神田「おばあちゃんはまだ早いです。」

長坂「私もそう思うんですよ。」

土門「先生とおばあちゃんだったらもう。」

長坂「私もそう思ってるんですけど、、、。」

神田「まだ全然20年くらい全然大丈夫だと思います。」


エンディング「片道切符」でタイへいく?

神田「さてエンディングです。前半に先生は、片道切符でタイに行って、、、という話を
されたんですけど、片道切符って帰ってくるのはどうやって帰ってくるんですか?」

長坂「最初は日本からタイまで片道切符買うんですね。で、タイでオープンのオープン切符を買います。だから「タイ発着」という形になります。

神田「それはどうしてタイで?」

長坂「タイで航空券買ったほうが安いんですね。日本で買うよりも。
学生はお金がないのでそうやって少しでも切り詰めようと工夫をするんです。

土門「オープン切符っていうのはいつでも?

長坂「はい。1年くらい。」

土門「1年くらいだったら。どこの日付でも行けますよってことですか。現地で買うってちょっと勇気いりませんか?」

神田「現地で当時からタイ語みたいの話せたってことですか?」

長坂「いえいえ。タイ語は話せないんですけども片言のタイ語と英語で。

神田「すごい。」:

長坂「必死ですね。それこそ。やっぱり生きていくための
言語は手段だというふうに思います。」


敬和キャンパスレポは、 「大学に関わるイベントや人、新発田のことをテーマにお届けする」番組で、金曜日21:00-21:30の放送です(再放送:翌週木曜15:30-16:00)。

ツイッター、note、インスタグラムなどで、番組情報を発信しています。

敬和キャンパスレポ(@keiwacampus)さん / Twitter

敬和キャンパスレポ|note

敬和キャンパスレポ(@keiwacampus) • Instagram写真と動画

#国際文化学科 #情報メディアコース #多文化理解コース #長坂康代