情報メディア研究所

オンラインで「沖縄を知る」集中講義を実施(2022年2月)

2021年度後期の集中講義「情報メディア特論(国内研修)」として、オンライン授業として「沖縄研修」(沖縄を知る)を実施しました(2022年2月14−17日)。本来この授業は、新潟県外に学生が赴いて「取材」」して、ドキュメンタリー等の成果物を制作するという科目です。しかし新型コロナウイルスの感染拡大、とりわけ「オミクロン株」への感染は、沖縄で先行して進んだこともあり渡航を断念、新潟にとどまった授業もほぼオンラインでの実施となりました。南部戦跡を始めとして、沖縄戦、戦後の沖縄を幅広く現地で学ぶ機会を持つことできませんでしたが、その分、学生たち自らがさまざまなテーマで沖縄のことを広くリサーチすることはできました。

ゲスト講義として、株式会社琉球新報社デジタル推進局局長兼デジタル編集グループ長の滝本匠さんにお話をいただきました。琉球新聞あるいは沖縄の新聞からみて、基地問題、沖縄をめぐる状況やメディアとしての問題意識などをうかがいました。

琉球新報滝本さん講義 琉球新報滝本さん講義

 

その後学生たちは、沖縄戦、「沖縄と核」、戦争マラリアから、沖縄からの「移民」、美ら海水族館、沖縄のメディアまで、幅広いトピックについて、短期間でまとめました。

新潟の大学生の「知らなかった沖縄」|shinyaiのnote|note(外部リンク)

ひとつひとつの項目について、もっと深めるべきところ、現地で確かめるべきところ、いろいろあますが、多様なトピックの「入り口」にはたどりつけたかと思います。今後、学生自身が沖縄を訪問した時、今回作った分厚く中身の濃い「旅のしおり」「ガイドブック」となることが期待されます。

学生の感想からいくつか紹介します。今回調べた結果として、沖縄で行ってみたい場所としてあがったのは、伊江島、石垣島、西表島を始めとした八重山諸島が出てきました。伊江島は沖縄戦と核ミサイルの投下訓練、2つのトピックで学びましたので、印象が強かったと思われます。石垣島を始めとする八重山諸島は、戦争マラリア、捕虜の虐待が問題となった石垣島事件などを取り扱いました、また本島からの「移民」先としても、石垣島への移住があったことも学んでいます。

国際文化学科3年の岸田さんのコメントです。

「沖縄戦については中高と平和学習でいくつかの施設を回ったので次沖縄に行くとしたなら沖縄戦以前の沖縄を知ることが出来る場所に行きたいと思います。私は今回の授業で川平朝清さんについて調べ、彼が琉球王国時代に王家に仕える家系であったことを知りました。その中で琉球王国の文化や歴史に興味が湧いたため、手始めに沖縄県立博物館に行ってみたいです。それから本島だけでなく先島諸島にも訪れてみたいです。宮古島には市立博物館があるみたいですからそこに行ってみるのが良いかもしれません。本島と島々の繋がりから沖縄のことをもっと深く知っていけたらと思います。沖縄戦の地や観光の地としてだけでなく独自文化を紡いできた歴史ある土地としての沖縄に目を向けられれば幸いです。沖縄料理にも再挑戦してみたいなぁ。

川平朝清さんは、戦後沖縄で「琉球の声」というラジオ放送をスタートさせたときのアナウンサーで、沖縄放送協会の初代会長もつとめられています。以下は、参加者それぞれにきいた川平朝清さんのインタビューです(2019年6月23日放送、第 57 回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞、2020 年日本民間放送連盟賞ラジオ・グランプリ)

J-WAVE SELECTION GENERATION TO GENERATION ~STORIES OF OKINAWA~ | SPINEAR (スピナー)  (外部リンク)

そのほか、履修者の皆さんの全般的な感想をいくつかご紹介します。

「沖縄の新聞事情や移民問題など、今まで知らなかったことを多く知ることができました。楽しいリゾート地のイメージしかなかったのですが、現状抱えている問題や県民の思いなども知ることができてとても良い経験ができました。今後も沖縄のことについて色々と学び、深めていきたいと思いました。」

「今回の学習で最も印象に残ったのは米軍基地の存在意義と沖縄に基地を強いている現状です。何故沖縄に米軍基地があるのだろう。そうふと疑問に思うことはあったものの、これまで深く考えたことは1度としてありませんでした。あんなに反対運動をしている方々がいるのに何も変わらないのは米軍が意固地だからなのだろうかとさえ思っていました。沖縄が太平洋戦争末期に沖縄戦の地として犠牲になったことは存じていましたが、まさか戦後までも日本防衛のため犠牲になっているとは考えもしなかったです。米軍基地が無ければ他国から攻撃を受けた際に打つ手が無くなり基地という抑止力が無くなることで日本が危険に晒されるため基地を撤去することは出来ない。移転するにしても多くの土地を接収され、事故が起きる可能性を考えると、他県は尻込みするため結局基地は動かない。この米軍基地問題を取り巻く状況に異を唱えない限り無意識に基地の存在を沖縄へと強制し、加害していることになるというのは新たな、それでいてとても大きな気付きでした。」

「戦後の沖縄に核ミサイルが配置されていたこと、核密約、八重山諸島の戦争マラリアなど、初めて知った事柄がたくさんあった。これまで、沖縄戦については沖縄本島で起こった事件や出来事しか学んでこなかったが、今回の集中講義は周辺諸島や国外に移民した人々の様子を学ぶきっかけになった。米軍基地問題については、沖縄の人々がすべて日米安保そのものまで断固反対であるわけではないと知り、容認派や容認・反対どちらともいえない人々は声を上げづらい立場にいるのではないかと感じた。次に沖縄を訪れる際は、今回学びを深めた場所や、沖縄本島の周辺諸島にも足を運んでみたいと思う。」