学長室だより

出会いが切り拓いてくれた道

手探り状態であった学生時代を思い起こすと、天職など考える暇はなかったと言えます。いろんな出会いがあったことにも気付かされます。しかし自分が手掛けている仕事のルーツを辿っていくと、出会いを意識せざるを得ない時と場所が、恩師の顔と共に思い浮かびます。その出会いがなければ今ここにはいないと言えるのですが、その時点で、出会いの意義を深く感じ取っていたわけではありません。木に実る果実のように、すべては後になってから分かったことです。
出会いは、自分の方に準備がなかったならば、単なる出来事の一つとして、意味を持たないまま忘れられてしまったはずです。求める心があってはじめて、出会いが意味を帯びてくると言えるように思われます。将来の展望も見えない学生時代には、思想的に知見を広めることを求めて、ひたすら乱読していました。どのような世界で生きていくのが自分に相応しいのかを、知りたかったのです。
高校時代から聖書を読み続けていましたが、旧約聖書を原典で読んでみたいと思っていた時に、夜間講座でヘブライ語を学べることが偶然にも分かったのです。気持ちが通じたかのように、そこで恩師との出会いを経験することになります。かつて読んでいた岩波全書『イスラエル宗教文化史』の著者でした。講義の初日、テキストの裏表紙に印刷されていたアーレフ・ベーツの歌を、関根正雄先生が朗々と歌われたのです。びっくり仰天しました。(鈴木 佳秀)