学長室だより

社会は血の復讐を制限できたのか

「目には目を」は、同害報復の形で加害者の責任を明示したものでした。他方「命には命を」の原則が存在したのは、古代社会に血の復讐という慣習が残っていたからです。殺人は死罪ですが(ウル・ナンム法典1条、出エジプト記21章12節等)、公的機関が暴行犯や姦通犯に死刑を執行する他に(ハンムラピ法典143条、申命記21章22節)、故意の殺人では、被害者の一族が加害者の命を奪う私的処刑を想定しています(民数記35章16節~21節、申命記19章11節~13節)。
血の復讐を法的に撤廃することは難しかったようです。旧約聖書は逃れの町を制定し、不可抗力による殺人を故意による殺人と区別し、犯人はそこに逃れるよう指示しています(申命記19章1節~10節)。復讐する者が、裁判なしにその者を殺してしまうのを防ぐためです。逃れの町に逃げ込めば、公的裁判や身の安全は仮に保証されました。逃れた犯人に手を出すと、逆に殺人罪が適用されたからです。
「父はその子のゆえに、また子はその父のゆえに、死に至らしめられてはならない。人はそれぞれ自分の罪ゆえに、死に至らしめられなければならない」(申命記24章16節・私訳)も、血の復讐の拡大を抑制するものでした。(鈴木 佳秀)