学長室だより

自慢でなく「ふるさと」を愛する人々

大学の同僚たちは、ほぼ日本全国から縁あって新潟に赴任してきている人たちでした。酒の入る席で、ふるさとの自慢話をよく聞かされました。熱弁を振るう同僚を横に、頷きながらも、すっきりした思いにはなれなかったのです。他愛のない話なのですが、自分のふるさとを自慢しない人は誰もいません。ただその話を黙って聞いていましたが、ふるさとのある人はいいなと、ちょっぴりねたみの心さえ浮かびました。
新発田で出会った企業人や政界、財界の方々は、いずれも責任を担って、ふるさとのために働いておられます。どの地方都市でも同じだろうと思うのですが、「ふるさと」を感じるようになったのは、彼らが一様にふるさとを愛しているからです。ふるさとはあらゆる面で恵まれているわけではありません。改善しなければならない所や、問題を抱えたまま沈滞してしまっている部分が必ずあります。そうした負の遺産ともいうべきものがあってもふるさとを愛しているのは、理屈ではないからでしょう。
彼らの間に、爽やかなすがすがしい空気が流れているのを感じたのです。こうした人々と親しくなり、酒を酌み交わしお付き合いしているうちに、うらやましいという気持ちが消えて、ぜひ一緒にやろうという思いが芽生えてきたのです。
これは敬和学園大学で感じた思いと同じです。「転勤族」としてでなく、「ふるさと」を一緒に作るひとりとして、自覚するようになったからです。(鈴木 佳秀)