チャペルのひびき

他人ごとではなく、我がこととして

チャペル・アッセンブリ・アワーは、沖縄の過去と現在について深く思いをはせる時となりました。チャペル・アワーにおいては、本学の藤野豊先生が、ご自身のご専門、近代日本史研究を通しての、ご自身の沖縄の方々とのかかわりについてお話しくださいました。沖縄キリスト教学院大学の先生と議論された際、ご自身の沖縄に関する現状認識が甘いと指摘されたとのお話が印象に残りました。戦時中は、本土防衛のための捨て石とされた沖縄。現在も、沖縄の人々が、相も変わらず、私たちに代わって、大きな重荷を負わされていることを思わされます。アッセンブリ・アワーでは、国(そこには私たちも含まれるのでしょう)より理不尽に押し付けられる重荷に抗議の声を上げ、辺野古基地建設反対運動等の活動を繰り広げておられる奥間政則さん(一級土木施工管理技士)のお話を聞く貴重な機会を与えられました。ご自身、ハンセン病患者であられたお父さまとのこと、またハンセン病に対する過酷な差別等について触れられながら、いかに沖縄の人々が国策により苦しめられてきたかを語ってくださいました。反対運動を阻止するために公務につかれている現地の警察官の方々の一筋縄ではいかぬ複雑な表情を捉えた写真が脳裏に焼き付けられました。沖縄で起こっていることを、「他人ごと(ひとごと)」ではなく、「我がこと」として受け止めてゆくための想像力が私たち一人ひとりに求められていることを教えられたC.A.H.となりました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「沖縄で考えたこと」 教授 藤野豊 先生
20191018チャペル・アッセンブリ・アワー1

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「ハンセン病問題と沖縄の基地問題~ふたつの国策と闘う~」 一級土木施工管理技士、沖縄ドローンプロジェクト分析担当責任者 奥間政則 先生
20191018チャペル・アッセンブリ・アワー2

<参加学生の感想>
感想1) 藤野先生のお話を聞いて、ハンセン病についてよく理解できましたが、ハンセン病の方々への差別が未だにあるということは知らなかったのでとても衝撃でした。優生思想というものをなぜ日本は見習ってしまったのでしょうか。今だから言えることであるとは思いますが、ナチス・ドイツのようなやり方は大きな過ちであったと思います。罪を犯したわけでもない無実の人を隔離し、侮辱することを国策として合法的に行ったなんて、信じられませんでした。同じ人間である人々をまるで動物や虫のように撲滅や駆除するという言い方はとんでもないと思う。
感想2) 藤野先生から沖縄の人身売買、基地問題、ハンセン病についてのお話を聞いて、自分たちは弱い人の立場に立って問題を考えていかなければならないと思いました。
感想3) 奥間先生のお話を聞き、日本の惨たらしい実態を垣間見ることができました。日本が国策として、弱い人間を殺したり、断種・堕胎を行っていたということを知りました。沖縄はアメリカにより苦しめられていますが、聖書の教えによって、奄美和光園ではハンセン病の人が子どもを生むことができるというのはとても皮肉なことであると思いました。お話しの途中で奥間さんが涙を堪えている姿を見た時、私も胸が痛くなりました。日本は弱者にしわ寄せをして、さも平和になったかのように振舞っているのかと考えるとこの国が恐ろしく思えてきました。
感想4) 沖縄の米軍基地問題の存在は知っていましたが、人ごとのように思っていました。今回奥間先生のお話を聞いて、「沖縄のこと」は、「日本のこと」そして「私たちのこと」であるということ。一番の問題は私たちが問題を問題として認識していないこと、無知であることは罪だと思いました。