チャペルのひびき

世界と自己を取り戻すために

11月14日のチャペル・アワーは、金耿昊先生(国際文化学科准教授)がご担当くださいました。先生は、マルコ福音書に記された主イエスの種まく人のたとえ話を、「言葉を取り戻す」とのテーマのもとで釈き明かしてくださいました。ある方々にとっては、言葉を取り戻すことは、認識を、また世界や他者とのつながりを、そして最終的には自己を取り戻すことでもあるとの大切な視点を先生はご提示くださいました。引き続き持たれたアッセンブリ・アワーにおいては、新発田において立ち上げられた画期的な取り組み、「新発田自主夜間中学校」について、その代表をしておられる松本英也先生よりお話を伺う機会が与えられました。「だれでも、いつでも、どこからでも、何度でも」とのモットーのもとに開かれたその学校の立ち上げのきっかけ、経緯、また現在の学校のご様子について知ることがゆるされました。かつて学びの機会を失してしまった方々が(また日本におられる外国籍の方々が)、新たに開かれたその学校において、喜びをもって一生懸命学んでおられるお姿を知り、敬意を抱かざるを得ませんでした。その方々にとって、学ぶということは、金先生がおっしゃられたように、世界とつながるとともに自己を取り戻す営みでもあるのでしょう。学ぶということ、また教育の意義について深く思いを馳せる時間となりました。「新発田自主夜間中学校」の更なる発展を心より祈ると同時に、同じ地域にある本学がそのためにできることも少なからずあるはずとの思いも強くいたしました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「ことばをとりもどす」 准教授 金耿昊 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講演 「誰でもいつでもどこからでも何度でも」学ぶ機会を保障してほしい ~ 「学ぶことは生きること」であることにきづいて ~  一般社団法人新潟県新発田市に夜間中学校をつくる会 理事 新発田自主夜間中学校 代表 松本 英也 先生

<参加学生の感想>
感想1)私はマルコによる福音書4章13~20節を読んだ時、この言葉にあまり納得することができませんでした。しかし、その後の金先生なりの解釈を聞いて、なるほど、そういうことかと納得することができました。確かに私自身、授業などで人の話を聞くとき、耳には入っているけれど、自分の体や心の状態がよくないと、頭には入らないということが多々あります。そのようにこの聖書箇所を解釈すると、体が健康で心が豊かであることがいかに大切なことなのか感じることができました。
感想2)字の読み書きができない方々にとっては、字をわかるようになることが喜びであることを知り、学ぶことの楽しさや感動について改めて考えさせられました。小中高とずっと学校で教育を受けてきたため、勉強や学校が面倒になることがあります。こういった話を聞くと、学びの無駄遣いのように学生時代を過ごしていたのではと思い、申し訳なさや恥ずかしさを覚えました。学びは、強制されて不本意にやると、本来のありがたみや喜びを見失うことになり、すごくもったいないことです。子どもたちのやりたいことを尊重し、自主的に楽しく学べることが一番大切なことなのだと思いました。私自身も教職を目指していますが、この視点は今までになかったので、気づくことができて本当によかったです。自分自身の学びへの意識にも反省すべきことが多く見つかりました。すべての学びに感謝し、興味を持って自分を取り戻し広げていきたいです。