図書館だより

敬和学園大学 図書館だより(2009年3月号)

学生に推薦したい本 (共生社会学科准教授 趙晤衍

『がんばらない』 鎌田實 著、集英社、2000年。

今回、私から紹介したいのは新聞やテレビなどで数多く取り上げられている鎌田實というお医者さんの著書です。私がこの本に出会ったのは8年前のことですが著者に出会ったのはその少し前のことです。出会ったと言っても個人的な付き合いではなく、10数年前にある講演会において直接本人の話を聞いただけでした。後から知ったのですが、この方は全国的に見ても一人当たり老人医療費が他の県に比べてもっとも少ない、しかも、長寿社会としても有名な長野県の底上げに深く係わった張本人であることに驚きました。
その講演会における著者への印象はいまでも鮮明に覚えています。長いひげをそらし、穏やかな語り口調は参加者のこころを独り占めできるほどの迫力を充分感じさせるものでした。今でも忘れられないことばに「ほろ酔い勉強会」の話があります。この勉強会に関しては著書にも詳しく述べられていますが、地域福祉を学ぶ私にとって多くのことを示唆してくれるきっかけにつながるものでした。
著書のタイトルである「かんばらない」という題名は、複雑、多様化している現代社会に対する何かが違う、何かがおかしいと思う私たちに、一歩立ち止まって自分をふりかえさせる命題であるかもしれません。もちろん、がんばることの程度よって捉え方も様々でしょうが。

さて、著書のすべてを紹介することはできませんが、本書の多くの内容は、末期の患者が生と死に向き合う姿をこれまでの機械的な医療を否定し、ひとり一人の価値観や生き方を基本に据えながら、自分さがしや自己決定を尊重することの大切さを描いています。また、患者や家族、医療と看護、地域のネットワークのなかで新しい医療のあり方をとことん論じています。一般の読者の多くはこの部分に感動を覚えているのではないでしょうか。これらに関する書評はインターネットやメディアなど、様々なところで簡単に接することができますのでここでは少々の紹介に止め、私はこの著書を少々違う視点、つまり、福祉や地域、共に生きる社会というところにひきつけて紹介したいと思います。
私はこの著書に副タイトルをつけるのであれば「地域再生における医療のあり方」ではないかと勝手に思いつきました。それほどこの著書の内容はバラエティに富んだ内容であり、示唆する点も多いのが特徴であるといえます。
まず紹介したいのは、悪性リンパ腫と診断されたある青年の死についての記述です。「弱気になるな!がんばれ!」とは家族の誰の口からも出なかった。これ以上生きてほしいと願うほうが、どれだけ残酷なことか分かっていたのだ。もう彼にこれ以上誰も「がんばれ」といえない。ぼくは「がんばらない、がんばらない。これまでよく頑張ってきた、もうがんばらなくていいよ、きみはきみのままでいいんだよ」と胸のうちに思った。鎌田医師はキューブラーロースの死への段階が一方的に進むのではないことをこの青年から強く感じるのでした。受容に軸を置きながらも否定や怒りや取り引きに行ったり来たりするこのジグザグがなんとも人間的で、いとしいか、と著者は表現しています。日本では、耐えられない痛みに対して、「がんばれ、がんばれ」と歯をくいしばられていることが多い…(中略)なにより大切なのは痛みを取ってあげることで、その人のクオリティをあげることができる。歯をくいしばってがんばらなくてもよいのであると述べています。
著者が強く言いたいのは、がんばりすぎないで、あなたはあなたのままでいい、がんばるのは私のほうであるということではないでしょうか。この考え方、ヒューマンサービスの仕事を目指すものにとって必修条件として大いに学ぶべきものではないでしょうか。

次に紹介したいのは、著者が25歳で東京から赴任した先は、つぶれかけていた長野の諏訪中央病院というところで、地域から見放されつつあった病院の立て直しの歴史がここから始まるという物語りです。地域から見放され、患者さんが来ない病院からスタートして、地域に出て、地域で学ぶところから始めるわけです。その頃、秋田に続いて二番目に脳卒中が多かったのが長野県だったといいます。そこから保健師と連携を組んで脳卒中に対する住民啓蒙活動に力を注ぐようになります。茅野市はもともと生涯学習活動が盛んであることに気づき、仕事が終わってから年間80回夜の公民館を保健師と共に回りながら意識改革を行うことにしたと言います。積極的に地域に出ることによる住民の健康に対する意識改革とともに地域住民の生活実態も徐々に明らかにされていったのでした。塩分摂取の多い食生活や住宅環境が及ぼす脳卒中との関係は生活の仕方を変えない限り難しいことを突き止めることになり、医療は生活をみるところからしか始まらないと思い、一室暖房運動や減塩運動をして見事に脳卒中を減らしたのが今日の低医療費につながっていると思います。

さらに鎌田医師は地域に深く溶け込む一例として、祭りへの参加を通してこれまでの考え方の変化を述べています。それは、東京での大学生活のなかで、おのずと西洋流の個の自立の大切さを信じ、自分を棚に上げて自立していない人を批判したといいます。無意識のうちに個の自立という言葉にあこがれていたのかもしれないと著者は振り返っています。アイデンティティというわけのわからない「自分さがし」の旅をしていたそんなぼくが、古い共同体の祭りの中で、あたたかなぬくもりを感じたとも述べています。さらに、祭りを通して、個の自立を獲得しようとする自分の中に無用の競争や差別意識を生んできたような気がしたと力説しています。ぼくは隣組をはじめとして、街の隅々まで張り巡られている田舎的ネットワークが大嫌いだったとも言っています。しかし、信州の片田舎でぼくの心の中の哲学に革命が起き始めていたと、その後のこころの変化を巧みに綴っています。
私たちは、何から何まで不自由なく暮らすことのできる今の生活を支えているものが西洋文化や思想であることさえ忘れられ、その恩恵なるものをあたり前に受け止めています。しかし、その恩恵を担保とした忘れかけた弊害の大きさにどれだけの人が気付いているのでしょうか。その意味で、著者のいう田舎的ネットワークが大嫌いだったという話に共感を覚えるものは果たして私だけでしょうか。地域共同体活動に参加することが地域医療にとって重要であることを鎌田医師は誰より早く気づいたのです。
先に述べた「ほろ酔い勉強会」の実践は大変面白いものです。高齢化社会で地域の病院として何ができるのか、という自らの問いを仕事が終わってからお酒を持ち寄って地域住民とお酒を飲みながら自由な議論を始めたのです。ほろ酔い勉強会の秘密には、地域住民との壁をなくし、普段の生活で抱える様々な問題を発掘し、その課題に関係者だけではなく地域住民自らが気づかされ、その課題解決に主体的に突き進むことによる地域改革にあると思われます。医療や福祉だけでなく広い意味での地域おこしの基本が見え隠れていると言っても過言ではありません。

著者は現代の医療について、治療はできても癒すことが難しくなったのは、患者の「全体」を治そうとしなくなったためだと指摘しています。医学は生物学とは違い、人間科学であることを強調しています。人間の疾病を部品の故障というようなデカルト的な捉え方をせず、対象の個別性やその人が生きてきた歴史に配慮し、それぞれの「生きている意味」を尊重して、治療していくべきではないだろうかと述べています。
著者が問いかける現代医療の問題は、単なる医療だけが抱えている課題ではありません。現代における社会福祉が抱える問題そのものではないでしょうか。ここの共通するところをしっかりと学ぶことが大切ではないかと思います。著者による本は他にも沢山あります。ぜひこの書を含めて読んでみてはいかがでしょう。