学長室だより
空が、赤く、焼けて
今年は戦後70年という節目にあたり、さまざまな戦争体験がテレビや書籍で語られました。前回紹介した本学のオープンカレッジ「児童文学講座」の最後に、コーディネーターの眞壁伍郎先生から一冊の本が紹介されました。奥田貞子著『空が、赤く、焼けて』です。
奥田貞子さんは基督教独立学園高校の女子寮舎監で、家庭科の教師でもありました。1979年に『ほのぐらい灯心を消すことなく』という題で自費出版し、後にキリスト新聞社から出版されました。戦後70年を迎えた今年、新たな読者層に向けて小学館から改題して再版されました。
広島に原爆が投下された時31歳であった奥田貞子さんは、広島から60キロ離れた瀬戸内海の静かな島に住んでいました。翌日から広島の宇品港近くの兄の家から、兄の子供たちを探しに出かけます。姪と甥に出会うまでの8日間の経験が中心に書かれています。
ひどく焼けただれ、怪我をした、目も当てられない重症の幼い子どもたちとの出会いと最期の看取り・別れのエピソードは、東松山市の丸木美術館にある丸木画伯夫妻が描いた「原爆の図」の地獄絵を想起させます。しかし、それ以上に人間的な交流と生々しい現実を鮮明に描いています。死にゆく子供たちの「水を下さい。水を…」は原民喜の原爆の詩を思い出させます。しかし、それ以上に葛藤した現実を克明に活写しています。非戦の誓いを新たにさせられました。
戦争体験によって被害者感情だけが助長されることなく、「<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>、<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>、…<ヒロシマ>といえば<ああヒロシマ>とやさしくは返ってこない…」という栗原貞子の原爆の詩に象徴されるように、戦争の加害者意識も忘れてはならないと思います。(山田 耕太)