学長室だより
敬和学園 ジョン・モス宣教師
敬和学園はジョン・モス宣教師の熱意と信仰と働きがなかったならば始まらなかった。モス宣教師は1925 年にヴァーモント州で代々メソジスト派の牧師の子として生まれ、ジョン・ウェスレー、リンカーン、社会福音のラウシェンブッシュの影響を受けて育った。オハイオ・ウェスレアン大学を卒業後、エール大学神学部でリチャード・ニーバーの社会倫理に多大な感化を受けた。在学中に教育宣教師として1948年に来日し、学生キリスト教友愛会の再建に携わった。帰国後エール大学大学院で研鑽を積み、キリスト教友愛会で出会ったはつみ夫人と宣教師として1956年に再来日し、新潟で青年伝道に従事した。
モス宣教師夫妻が新潟に来た1956 年には明治期の新潟女学校と北越学館というキリスト教主義学校を再興しようとする機運が起きたが、資金難で幼稚園を開園したのみで挫折してしまった。その数年後に新潟朝祷会の祈りの中からキリスト教学校再興のヴィジョンが共有され、設立委員会が発足し、モス宣教師夫妻は重要な働きをし、とりわけドイツ福音教会とアメリカ・メソディスト教会から献金を取り付けるのに尽力された。1968年4月に太田俊雄校長を迎えて敬和学園高校は発足し、以来副校長として初代校長を支えた。太田校長が退いた後に1984年から1990年まで第二代校長として務め、後継者の榎本栄次第三代校長を迎えると、再び一介の英語教師として学園を支え定年を迎えて帰国された。(山田 耕太、『キリスト教学校教育』2014年5月号「キリスト教教育者物語」掲載)