学長室だより

「光の祭り」

20201127クリスマスツリー点灯式1

点灯式で小説教をする山田学長

 

クリスマスツリー点灯式

皆さん、こんにちは。今日はクリスマスツリーの点灯式にようこそお集まりくださいました。11月下旬になりますと午後4時半には日が暮れてあっという間に真っ暗になります。夕べの始まりです。

今クリスマスツリーの点灯式を行っていますが、点灯式はクリスマスの始まりを告げる儀式なのです。もう少し正確にいうと、12月25日のクリスマスの前の4週間は、クリスマスを待ち望む時期という意味で「待降節」といいます。英語では「アドヴェント」といいます。これはラテン語の「来る」「やって来る」という意味の動詞「アドウェニオ―」(advenio)の名詞形「アドウェントゥス」(adventus)を英語で表記した言葉です。すなわち「アドヴェント」とは「キリストがやって来ること」「キリストの来臨」という意味があります。

今年は11月29日が第1アドヴェントの日曜日となります。教会では第1アドヴェントには1本のロウソクを灯して礼拝を献げ、12月6日の第2アドヴェントの日曜日には2本のロウソクを灯して礼拝を献げ、と毎週1本ずつロウソクを増やして礼拝を献げます。そして第4アドヴェントの日曜日には4本のロウソクを灯し、クリスマス・イブにはロウソクを灯したキャンドルサービスを行う習慣になっています。

このようにクリスマスツリーの電飾やロウソクの灯りに象徴されるように、クリスマスは「光の祭り」なのです。教会でクリスマスにロウソクを灯す習慣は、ユダヤ教の「宮清めの祭」(ハヌカー)という「光の祭」と密接な関係があります。ユダヤ人は紀元前165年にパレスティナを支配していたセレウコス朝シリアに対して独立戦争をして勝ち、汚されたエルサレム神殿を清める「宮清めの祭」で8日間ロウソクを灯す習慣が始まりました。ユダヤ暦は太陰暦ですので年によって日が変わりますが、ほぼ「アドヴェント」の時期と重なります。ユダヤ教では神殿を清める「光の祭り」を行い、キリスト教ではイエスの誕生を祝う「光の祭り」をします。

クリスマスツリーの電飾やロウソクばかりでなく、クリスマスの物語自体が、星の「光」に導かれた東方の博士の物語から始まります。また、イエスの誕生の時には夜空に天使たちが現れて「天には栄光あれ、地には平和あれ」と歌う「栄光」という言葉にも象徴されるようにクリスマスは「光の祭り」です。「栄光」という言葉は、神が光に包まれていることを物語っています。天上の神の世界は光で満ち溢れているのです。それに対してこの地上の世界は、闇で覆われており、悲しみや苦しみで満ちているのです。

先ほど読んだ聖書か所は、救い主であるメシアの誕生を待ち望んでいた老いた預言者のシメオンが、赤子のイエスを見た時に歌った讃歌です。これは「シメオンの讃歌」と言われますが、ラテン語の最初の2単語から「ヌンク・ディミッティス」(今こそ、去らせたまえ)とも呼ばれる讃歌です。
 
   「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、
   この僕を安らかに去らせてくださいます。
   私はこの目であなたの救いを見たからです。
   これは万民のために整えてくださった救いで、
   異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2:29-32)

「お言葉どおり」というのは「旧約聖書の預言者の言葉のとおり」という意味です。「この僕」とは、シメオンが自分のことを神の前で謙遜して言っているのです。「安らかに去らせてくださいます」の「去る」とは「死ぬ」の婉曲的な表現です。すなわち「安心してこの世を去ることができます」という意味です。またこの歌は祈祷書では寝る前の「夕べの祈り」に定められています。その時は「安心して眠りに就くことができますように」という意味になります。その理由は「(待ち望んでいた)救い主を見たからです」。救い主は「万民」すなわち「全人類」のために「準備された救い」で「異邦人の光」であると同時に「ユダヤ人の誉れです」と歌います。

クリスマスはキリストの誕生を祝う日です。キリストは「異邦人の光」すなわち「私たちの希望の光」なのです。闇に覆われた世界の中で「希望の光」なのです。私たちの心の中に神の子である「救い主」を迎え入れ、私たちの心の中に「御子」が誕生して「希望」の光の中に生きるようになることを心からお祈りいたします。(山田 耕太)