学長室だより
「今こそあなたは」(ヌンク・ディミッティス)
クリスマスツリー点灯式
キリスト教のカレンダーは11月に終わります。新しい年はクリスマスの4週間前の「アドヴェント」(待降節)から始まります。今年は12月2日が第一アドヴェントの日曜日です。「アドヴェント」は、「クリスマス」を迎える準備をする期間を指します。クリスマスは「光の祭り」です。クリスマスツリーに点灯し、キャンドルに点火して礼拝を守ります。それはなぜでしょうか。
ただ今読んでいただきました聖書か所は、救い主メシアの誕生を待ち望んでいたシメオンという老人の預言者が、ユダヤ教の習慣に従って初子イエスを神殿に献げに来たヨセフとマリアを見て歌ったシメオンの讃歌です。冒頭の「今こそあなたは(私を去らせてくださいます)」という二単語をラテン語で表記した言葉で、「ヌンク・ディミッティス」とも言われる讃歌です。
ルカ福音書1-2章のイエスの誕生物語は、ザカリアとエリサベトという年老いた子に恵まれない夫婦とヨセフとマリアという年若い未婚の婚約者のカップルに、不思議な方法で洗礼者ヨハネとイエスが誕生する物語で構成されています。その中で、マリアの讃歌「マグニフィカート」、ザカリアの讃歌「ベネディクトス」、天使の讃歌「グローリア」、シメオンの讃歌「ヌンク・ディミッティス」という互いに関連し合った四つの讃歌を中心にして二つの誕生物語が展開されています。すなわち、シメオンの讃歌は、関連して展開されていつ四つの讃歌の結びの讃歌にあたります。
「主よ、今こそあなたは私を去らせてくださいます」(1:29a)。「主よ」(マリアの讃歌1:47, 48, 50, 51, ザカリアの讃歌1:68, 72, 74, 75, 77参照)とは、旧約聖書以来の伝統に従って、神と人間の関係を「主人」と「僕」(直訳、奴隷)を比喩として用いた、神に対する呼びかけです。「今こそ」とは、救い主の誕生を待ち続けてきたシメオンが、誕生したばかりの御子イエスを見た瞬間を指します。「私を去らせてくださいます」は、この世を去る、すなわち死ぬことの婉曲的表現です。
「お言葉どおり、この僕を安らかに(去らせてくださいます)」(1:29b)。「お言葉どおり」とは契約で約束し、預言者が預言したとおりという意味です(ザカリアの讃歌1:70「聖なる預言者」, 1:72「聖なる契約」, 1:73「アブラハムに立てた誓い」, 1:76「預言者」参照)。「この僕を」は、「主人」に例えた神に対して、自分自身を「僕」直訳すると「奴隷」となり、極めて謙虚に自分自身を表現しています(マリアの讃歌1:48「はしため」, 54「僕イスラエル」, ザカリアの讃歌1:69「僕ダビデ」参照)。「安らかに」は直訳すると「平和のうちに」です。ヘブライ語でもギリシア語でも「平和」と「平安」は同じ言葉です(ザカリアの讃歌1:79「平和の道に導く」参照)。
「私はこの目であなたの救いを見たからです」(1:30)。神の約束のとおり平安の内にこの世を去ることのできる理由がここで述べられています。「この目であなたの救いを見た」(マリアの讃歌1:42「救い主」, ザカリアの讃歌1:69「救いの角」参照)と歌われます。ユダヤ教の習慣によって初子の男の子が神殿に献げられるのは、誕生後33日目以後(レビ記12章)の赤子でした。その赤子の内に信仰によって救い主の姿を垣間見たのです。
「これは万民のために準備された(直訳)救いで」(1:31)。「準備された」は直訳です(ザカリアの讃歌1:76「その道を準備し」参照)。アブラハムへの約束が成就するまで1,800年もの長い時間がかかって準備されてきました。「万民」は、「異邦人」と「イスラエルの民」で構成される全人類を指します。
「異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの栄光(直訳)です。」キリストの誕生は「異邦人を照らす光」で「イスラエルの栄光」で「万民」の「希望の光」なのです。クリスマスツリーもロウソクもその象徴です。クリスマスツリーは今から500年前のルターの時代から、キャンドルは紀元前140年ころの宮清め祭(ハヌカ祭)をキリスト教化して以来の習慣です。皆さんの心の内にも「希望の光」が灯りますようにお祈りします。なお、イギリス国教会(聖公会)の祈祷書では、一日の終わりの夕べの祈りでこのシメオンの讃歌(ヌンク・ディミッティス)を祈ります。その場合、「今こそあなたは私を立ち去らせてくださいます」は、一日の終わりの「安らかな」眠りを祈る祈りにもなります。
2018年11月30日
敬和学園大学長 山田耕太