チャペルのひびき

私たちの源流を知らされて[2020-07-03]

チャペル・アッセンブリ・アワーは、鈴木孝二先生(基督教独立学園元校長、敬和学園高校元教諭)をお迎えし、新潟におけるプロテスタント・キリスト教教育の源流についてのお話を伺うことができました。19世紀の中ごろに官立の新潟英学校で教鞭をとったアメリカのブラウン宣教師や、医療伝道に従事した英国のパーム宣教師、さらにはアメリカンボードのスカッダー宣教師の働きが、多くの日本人の心を動かし、北越学館という学校の設立に結実していったこと。そこでなされた教育が豊かなリベラルアーツ教育であったこと。時勢の変化と共に閉校を余儀なくされてしまいましたが、北越学館はその短い開校期間に、「地の塩、世の光」ともいうべき多くの人材を輩出したことを知ることが許されました。私たちの敬和学園は、その流れをくむ、いわば北越学館のよみがえりともいうべき学校であり、戦後、新潟のキリスト者の祈りのもとで建てられた志のある学校であることを鈴木先生は丁寧に教えてくださいました。先生はまた、ご自身の若きころからの歩みを通して、いくつかの大切なことを語ってくださいました。私たち一人ひとりは、神さまの御心により、この世界に誕生し、また、神さまによって選ばれ、一人ひとりがこの世界にあって特別な使命の授けられていることを心に刻んでほしいと。また、北越学館の先人たちと同様、生涯を支え導いてくれるような友情を育んでほしいとも。先生の情熱溢れるメッセージを通して、本学で学ぶことの意義と幸いを教えられた貴重なひと時となりました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「敬和学園大学とその源流北越学館の教育と卒業生の活躍」 敬和学園高校元教諭、基督教独立学園元校長 鈴木孝二 先生
20200703チャペル・アッセンブリ・アワー1

<参加学生の感想>
感想1) 「ヨハネによる福音書」で述べられていた「あなたがたが出かけて行って実を結び、(中略)任命したのである。」という言葉に考えさせられました。神は私たちを常に見守り、私たちの生活も迷いもすべて受け止めてくださるのだなと思いました。また、鈴木孝二先生のお話から、時間がかかっても自分と真っ向から向き合い、また神とも真正面から向き合うことが自分の人生をよりよくすることにつながるのだと思いました。「ヨハネによる福音書」にある「互いに愛し合いなさい」という言葉からは、周りの人を大切にすること、自分が大切にされることの重要性を強く感じました。私も敬和学園大学で友達、先輩、先生など人との関わりからたくさんのものを吸収できる人間になりたいです。今回のお話を聞いて、自分の人生について見つめ直すことができた気がしました。
感想2) 今日のお話を聞いて、敬和以外にもキリスト教の学校があったことを知りました。高校の日本史で内村鑑三について習い、知っていたので、その名前が出てきた時は驚きました。そしてまさかそんな人が新潟にいたことにも驚きました。内村鑑三という明治期のキリスト教思想家の第一人者である方が北越学館にいらっしゃったということはそれだけ日本のキリスト教の歴史に残るようなすごい学校だったのだろうと思います。自分が今いる大学の源流である学校にこんなすばらしい歴史的人物が関わっていることを知り、この大学に入学できたことに喜びを感じました。最後に先生が出会いを大切にとおっしゃいました。これから4年間、敬和であらゆる人と交流し、一つひとつの出会いを大切にしていきたいと思います。
感想3) 私は今回の鈴木先生による敬和学園大学の源流であるさまざまな学校についての講演を聴き、学ぶことや仲間と交流することにより、自分の目的や意義を見いだしていくことの尊さを改めて知りました。私は自分の目標については何度か考えたことがあるものの、自分の存在については考えたことがなく、「自分の存在を感じる時は誰かに必要とされている時」だという思い込みがありました。しかし、講演の序盤に鈴木先生が「空を見上げた時に自分の存在を感じた」とおっしゃり、私は自分の存在意義は必ずしも他者との間で見いだされるものではないと知り、新しい世界が広がったように感じました。これからは自分の外はもちろん、自分の中などさまざまな角度から自分の存在や目標を見いだしていきたいです。
感想4) 今日のチャペル・アッセンブリ・アワーの鈴木先生のお話を通して、敬和の開学までの道のりを知ることができました。新潟開港100年の事業として敬和学園高校が作られ、その延長として敬和学園大学が作られたということを聞いて、開学するのにとても時間がかかったということを初めて知りました。また、敬和の源流として北越学館という学校があったことも聞いたことはあったのですが詳細については今日初めて知りました。1869年の開港直後に来日したS.R.ブラウンや1875年に来日したT.A.パームらや成瀬仁蔵、松田国太郎たちが結集し「北越学館」ができたと聞いて学校を作るのにはたくさんの人の協力がなければできないなのだなと思いました。このようにしてできた敬和学園大学に入学したことに誇りをもって充実した大学生活を送っていきたいです。
感想5) 今日は、鈴木考二先生の敬和学園の歴史の講話でした。敬和学園大学の歴史がどのように歩まれてきたのか、高校から大学も建設される際に新潟県とどのような関係で建てられていったのかを学ぶことができました。歴史的状況の中で珍しいのにもかかわらず外国のオランダの宣教師の方が来て英語の勉強と同時に聖書の勉強も教えていながら社会的状況の中でキリスト教への信仰が禁止されていた時代だったため解雇され横浜へ戻らされるという状況の中で、阿部欽次郎さんがついていき勉強をして独学で学校を設立したことにとても驚きました。その当時の方々の勉強に対する熱量と覚悟が今の自分たちにはないなと感じます。北越学館を設立してから大変な困難を乗り越えた中で教育方針を明確にし立て直すことができた松村介石さんを尊敬します。現代に合う勉強方針も大切ですが、昔のことに目を向け取り入れることが重要だなと感じました。
感想6) 今日は鈴木孝二先生から、敬和学園大学開学までの道のりと北越学館についてのお話を聞きました。スタートは開港100年事業としての学校だったということを初めて知りました。そして開学するまでに20年以上もかかっていたことも知ることができました。たくさんの人の血のにじむような努力があったからこそ実現したのだと思います。そんなことを考えながら建物を見渡しました。なんだかとても温かい気持ちになりました。また、北越学館のお話の中に内村鑑三さんの名前が出てきました。何度か耳にしていましたが、外国人教師が無給で働いていることに意義を唱えたという行動力と強い意志がすごいなと思いました。どのような方なのかとても興味があります。こうやってみるとたくさんの人が動き奮闘し、たくさんの歴史が紡がれて来たことが分かります。鈴木孝二先生は「入学した時に持った志を持ち続けて欲しい」「この大学でお友達や先生方とすてきな出会いをしてもらいたい」とおっしゃりました。この言葉を心に留めます。
感想7) 神の言葉を受け入れ行動することは、本当の意味で自由だと気づきました。まず、敬和学園大学に入学した時の志を思い出しました。当時の私は、憧れの人たちに近づき、クライアントである生徒と一緒に考えられるスクールカウンセラーなるために優しい心を持ちたいと考えました。そのために、経験を積み知識をつけて優しい心を持ちたいと思いました。最初は「真理はあなたがたを自由にする」に惹かれ、興味を持ちました。鈴木先生は、ヨハネによる福音書を読み、自分がここにいる使命、役割だと考えたようです。神の言葉の捉え方は自分の内面が現れるためいいのかもしれないと、時間が経った今では思います。神の言葉の捉え方は人それぞれで、多くの捉え方の中から自分で考え、一つでも二つでも組み合わせたものでも選べています。神の言葉を受け入れることは、本当の意味で自由だと思います。
感想8) 鈴木孝二先生のお話を聞いて昔の新潟のキリスト教学校のことが分かりました。新潟では北越学館という学校が1888年9月に新潟県初のキリスト教学校として始まりました。当時県下には中等高等教育を担う学校がなかったことから、入学する生徒が順次増加しました。満13歳以上の男子で、予科3年、本科3年が基本過程です。初代教頭の内村鑑三は聖書のエレミヤ書の講義などを行いましたが北越学館事件を起こして12月に辞任し帰京します。翌1889年4月に二代目の教頭に松村介石が就任。「北光」「北光会雑誌」などを発行し、隆盛期を迎えるが、内外の情勢の変化に対応できず、1893年4月に休校宣言を出し、そのまま閉校となりました。この話を聞き私は6年という短い間だったけれど北越学館が新潟のキリスト教教育の礎になったことを考えて、またその精神が今の敬和学園にも生きていると感じました。

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