チャペルのひびき
耐えられない試練はない
敬和学園大学のチャペルは、毎年、学長のメッセージで始まります。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」(コリント一、10章13節)。人の生涯には苦しみがあります、それが宿命であるならば、私たちはあきらめるしかありません。しかし、神を信じる者は問うことができます。そして、神の応答があることを信じ、和解にむかって励むことができるのです。(大澤 秀夫)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「耐えられない試練はない」 学長 鈴木 佳秀 先生
Ⅱ.アッセンブリ・アワー
阿賀北ロマン賞授賞式
チャペル・アッセンブリ・アワーのオリエンテーション 宗教部長 大澤 秀夫 先生
参加学生の感想
感想1)わたしが今までいくつかの試練から逃げてきました。「こんなこと無理だ」と決めつけていたからです、しかし、それは神から与えられたチャンスを自ら放り投げてしまったのだということを今日のチャペル・アッセンブリ・アワーで学長の話を聞いて思いました。これからは試練からすぐに逃げることをやめます。やれることはやります。
感想2)わたしの経験してきた苦難・試練が神から与えられたものであることは、今日のわたしには信じることができません。ですが、「乗り越えられる試練しか与えない」というのは、そのとおりだと思います。今までわたしが経験してきた苦難は、すべてわたしの糧になっていると思うからです。
感想3)チャペル・アッセンブリ・アワーというものは名を聞くだけでは、内容はまったく想像できないものでした。この授業に参加してみてとても内容のある授業だと思いました。
感想4)今回の鈴木学長が話された「耐えられない試練はない」という説教の中で「やられたらやりかえそうとする、それが誘惑です」といわれた時その通りだと思いました。自分だけが辛い思いをするなんて不公平だし、嫌だと思うのは人間なら当然の感情だから悪いことだとは思わないけど、それを相手にぶつけてしまうことは誘惑に負けてしまったことになる。やりかえしたことによって自らも罪を犯したことになるという悪循環。人を憎み傷付けることからは何も生まれないということを改めて確信しました。