チャペルのひびき
殺してはならない
小池正造先生(日本基督教団東新潟教会牧師)がキリスト教が大事にする文書の一つである「十戒」について説き明かしくださいました。「~してはならない」との禁止の命令形において記されている戒めの背後にある積極的な意味合いを読み取っていくことが大切とのことでした。例えば「殺してはならない」との戒めは、「殺さなければいいんだろう」との消極的な意味合いにおいてではなく、実際に殺さなくても、神がパートナーとして生きるべく私たちに与えてくださった隣人の尊厳を奪うようなことをしてはいないだろうかと思いをこらすこと、あるいは、隣人を生かしていくためには、どうすればよいのだろうか、というふうに思いを広げて読んでいくことが必要なのだということです。続くアッセンブリ・アワーにおいて、ハンセン病国賠訴訟弁護団代表・徳田靖之先生から、「ハンセン病問題から何を学ぶか」というタイトルでお話を伺う機会を与えられました。日本におけるハンセン病政策の歴史について、特にその過ちについて、深く教えられました。特に、キリスト教関係の人間たちが抱いてきた「救う」という意識の中にもまた差別が潜んでいるという先生のご指摘は、心に深く突き刺さりました。先ほどのチャペルのお話しとの関係において言えば、「救う」ことと「殺すこと」は紙一重なのではないかということでしょう。大切なことは、共に歩むこと、寄り添うこと。これこそ、イエスが人々の間において示してくださった「隣人となる」生き方であることを覚えます。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「神さまとの約束」 日本基督教団東新潟教会牧師 小池正造 先生
Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「ハンセン病問題から何を学ぶか」 ハンセン病国賠訴訟弁護団代表・弁護士 徳田靖之 先生
<参加学生の感想>
感想1) 私たちは自分にないものを欲するが、それがいき過ぎると罪を犯してしまう。それを止めるために「殺してはならない…」のような文があるのだと思った。
感想2) ハンセン病は昔の病気で人ごとのようなイメージがあった。しかし、話を聞くと、社会との隔離や強制労働といった今では考えられないほどの人権侵害があったことが分かり、許せないと思った。ハンセン病から、差別の根幹にあるのは、1人ひとりの意識なのだと思った。差別の意識を持たない人間になりたい。
感想3) 私が驚いたことは、患者に対して強制労働をさせていたことです。ここは先生もより強く伝えたかった部分だと思います。肉体的にも精神的にもまいっている人に対して労働を強いるというのは、人のすることではないと思います。これが当時の日本で行われていた事実は胸を痛めます。人間は病気や感染病などに対して無知なのだと思います。はっきりとした知識があれば、あのような迫害には至らなかったとも思います。過去の過ちから学び、このようなことはもう二度と起こさないというのが当たり前であってほしいです。過去のできごとを過去のことにはせずに、常に考えていくことが風化させないためには必要だと思いました。