チャペルのひびき
私たちを無条件に肯定してくださる方の光のもとで
先週のチャペル・アワーは小田中肇先生(敬和学園高等学校校長)が、ご自身の歩んでこられた紆余曲折の半生をご紹介くださいながら、励ましに満ちたメッセージをお届けくださいました。先生は、理系偏重のご家庭にお育ちになられたことから、国立大学の理学部に進学されます。しかし、そこで待っていたのは自信を打ち砕く厳しい現実。それでも何とか卒業された後、東京で進学塾の教師になられました。幸いなことにそのお仕事においてやりがいを見出されるとともに、学びの意欲に満たされていったとのこと。そして、先の大学の文学部に再入学し、宗教についての学びを収められた後、道内のキリスト教系の高校の教師を経て、今の敬和学園に導かれたのだそうです。先生は、旧約聖書の創世記の冒頭において、神様が世界を良きものとして創造されたことに目を向けてくださいます。それは、この世界と、その中に生きる一人ひとりの人間を神様が無条件に肯定してくださるということ。聖書のメッセージの中心はそこにあり、本学の教育もそこを起点としているのです。人生は、川の流れのように紆余曲折を描くかもしれない。しかし、その中にあっても、神様は圧倒的な肯定の光をもって私たちの人生を導いてくださる。それゆえにどんな困難な中にも希望を見出しながら歩むことのできることを先生は教えてくださいました。引き続く、アッセンブリ・アワーは、中国の留学生たち、また中学に留学した日本人学生による報告会としてもたれました。留学生たちは流暢な日本語で、ご自分たちの故郷について、また各々の地の特色や食べ物等について、また、今後の抱負について語ってくれました。また日本から留学した小柳さんも、中国での留学経験での様子と学びの成果を伝えくださいました。今、日中は、政治的には非常な緊張関係の中に置かれています。しかし、そのような中にあっても、このような草の根の交流とお互いを理解しようとする姿勢のある限り、平和の種は撒かれ、育まれていることを確信することができました。敬和での学びは、留学生にとっても、日本人学生にとっても、平和の懸け橋となるための学びであることを心に刻みたく思うのです。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「川は曲がりながらも」 敬和学園高等学校校長 小田中 肇 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
留学生報告会

<参加学生の感想>
感想1)「光あれ」という神の言葉は、力強く肯定する言葉であり、私たちに対して無条件に祝福を与えるものであるとわかりました。教育は否定から始めてはならないということが心に残りました。何に関しても、最初に否定されてしまうと、人は無気力になっていき、いずれ無関心になってしまうと思います。人生には困難なことにぶつかってしまう時もありますが、神に良しとされた、無条件に肯定されたことを忘れなければ、歩んでいくことができると思いました。
感想2)今日は小田中先生の説教を聞いた。先生は自分でやりたいことを見つけるために自分から行動に移し自分の中の視野を広げており、とてもいいなと思った。今回の題「川は曲がりながらも」とは川はいつか海に辿り着くと同じように、人はさまざまな困難にぶつかることがあるが、それらを乗り越えた先に、本当に自分のやりたいこと、また自分が自分らしく輝くことができる場に出会うことができると知った。自分が目標に向かって頑張っている時にはこのまま進み続けてもよいのだろうかと不安になることも多々あるが、諦めず小田中先生のように前を向こうと思った。また留学生の話を聞いて、私は中国史がとても好きで教科書の中でしか聞いたことがなかった有名な都市や建造物がスライドに出てきて興味深かった。なかなか行く機会も、話を聞く機会もないので、とても貴重な時間を設けてもらい、ありがたかったし、中国に行ってみたいと思った。








