チャペルのひびき

八木重吉の詩へ誘いの時

チャペル・アワーは、益谷真先生(英語文化コミュニケーション学科教授)が、「ことば?出会う」との題のもと、説教してくださいました。「ヨハネ福音書」の冒頭に記された「言(ことば)」に注目され、「言葉」というものが、人間が人間となるために、人間であり続けるために、どれほど大切なものであるかを、丁寧に教えてくださいました。言葉でさまざまなものに出会うこと、また、たくさんの言葉と出会うことの大切さを先生は語ってくださったように思います。アッセンブリ・アワーは、八木重吉という詩人とその詩への誘いの時として持たれました。学長先生の大学時代からのご友人であられる小林正継先生(「八木重吉の詩を愛好する会」事務局代表)より、重吉という詩人の生涯とその詩の奥深い魅力について教えていただきました。真摯な神への思いを心を洗うような澄明な詩にしていった重吉が、ユーモアを忘れない人であったことを知ることもできました。ユーモアとは、自分を笑うことのできる心のゆとりから生じるもの。神さまの大きな愛を知るが故に、言い換えるなら、どう転んでも神さまの御手の中に置かれていることの安らぎが、詩人にこころのゆとりとユーモアを与えたのかもしれないとふと思いました。これを機会に、重吉の詩集を手に取り、豊かな言葉の数々に触れていただきたく思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「ことば?出会う」 教授 益谷真 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「詩人八木重吉と私」 八木重吉の詩を愛好する会事務局 小林正継 先生

<参加学生の感想>
感想1) チャペル・アワーは、とても興味深い講義でありました。ことばというものは、神と共にあったものであり神になったとされている考えはとてもおもしろいものでありました。人は、最初にことばという神の恩恵を受けて万物を成し遂げてきたので、ことばは神であると同時に我々が物事をこなしていく上で必要なものだということが理解できました。確かに改めて考えてみると人が何かをする時に必ずことばを使いますし、神に感謝を伝える時も人はことばを使います。私たちが普段何気なく使っていることばは、このような意味を持っていて、私たちは常に神と共にあるのだと思いました。
感想2) 私は八木重吉の詩、そして八木重吉という人物自体も今回のアッセンブリ・アワーで初めて知りました。しかし、冒頭で紹介された八木重吉の原っぱという詩を見た時、なぜか私はどことなく懐かしさを感じました。人を選ばないシンプルな言い回しの詩が自然と私の心に入り込み、八木重吉がこの詩を書いているときに想像したであろう子供のころに見た景色と重なって見え、こういった共感できる詩が八木重吉の魅力なんだろうなと思いました。私は今回見た中だと豚という詩が一番好きです。一見独り言のような詩ですが、自分の感じていることを他の人も共感できるように言葉にして表現するということはとても難しいことだと思います。シンプルな短い文章の中に情緒と奥深さを描ける実力が、今でも愛好者が全国にいることにつながっているんだろうなと思いました。
感想3) ことばには心が表れる、ことばによって私たちの経験、体験が変わってくるというのはとても共感できました。人間はことばによって、その物事を認識したり、理解したりすると思います。自分の周りの人が使うことばには、いい意味でも悪い意味でも影響されてしまうと思いました。ことばが使われている地域が違ったら、そこに住んでいる人たちの考え方も少し違ってくるのではないかと考えました。他言語を学ぶことで、自分たちとは異なる視点の考え方を得られると思いました。また、益谷先生の弟の子どもさんにつけられた名前がとてもすてきだなと思いました。名前は名づけ親の想いが詰まっていると思います。いつかは分かりませんが、自分が子どもに名前をつける時には、これからの人生経験を通して、大切だと思ったことをつけたいと思いました。