チャペルのひびき

新しき歌を歌うことのできる恵み。

2022年の最初のチャペル・アッセンブリ・アワーの時間として持つことがゆるされました。チャペル・アワーにおいては、山﨑ハコネ先生(共生社会学科教授)が、詩編96篇の御言葉より、その中で用いられた「新しき歌」という言葉を中心に、メッセージを語ってくださいました。「新しき歌」の一つの意味は、神さまにより、罪や病より回復され、新しくされた者たちの歌う讃美の歌であることを教えられました。イエスを信じる人生は、決して失望に終わることのない人生であること、また、私たちには、主にあって、日々、新しき歌を歌うことのできる恵みの与えられていることを、先生は力強く語ってくださいました。アッセンブリ・アワーにおいては、臓器移植コーディネーターの秋山政人先生(公益財団法人新潟県臓器移植推進財団)が、臓器移植について、またその歴史や日本(新潟)におけるその現状についてご紹介くださいました。先生によれば、臓器医療とは、第三者よりの提供という事柄が関わってくるが故に、法律上も臨床上も、複雑な仕組みとプロセスを経てなされる集学的治療であるとのこと。そしてそれが、なによりも、提供者と残された家族の安心のための医療であることを、先生は、臓器移植推進のお立場からお話しくださいました。そのことと深く関わる死(脳死)という事柄に関する見解の多様性、また、臓器移植に直面する家族の感情もさまざまであることを鑑みると、お話しくださったことに対して全面的に賛同することには困難を覚えましたが、死について(命について)、深く考える上でのよき機会となりました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「新しい歌を主に向かって歌え」 教授 山﨑ハコネ 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「救急における看取り医療の一助~臓器提供、官民一体の活動から~」 新潟県臓器移植推進財団 秋山政人 先生

<参加学生の感想>
感想1) 必ず明日が来るかどうかは分からないという言葉が印象に残りました。去年親族が亡くなり、今まで元気にいつも通りに生きていた人でも突然にぽっくり逝ってしまうのだなとその時感じたからです。どうしようもないくらい嫌な一日や気分が落ち込んでいる日もありますが、いつ逝ってもいいように、「今日はよい一日だったな」と思ってベッドに入れるような前向きな考え方ができる人になりたいと思います。
感想2) 私たちに与えられた一日が毎日続いていると言っていました。私がいても、いなくても一日は存在し、続いていく。そんな中で、私が今ここにいる意味は何だろう。また、生きる意味は何なのだろうと考えていました。神の御業とすれば、どんなことでも喜びとなりえるとも言っていました。そんな盲信で得られる喜びは、果たして本当に幸せと言えるのだろうかと考えていました。世界は揺らぐことがないということには賛成しますが、だからこそ、生きるべき理由について疑問を持っています。
感想3) アッセンブリ・アワーでの秋山先生の臓器提供についてのお話では、「臓器移植は、提供者のための医療」という言葉が印象に残りました。臓器を提供してくださる方のご家族の人たちは、大体の方が笑顔だというお話に驚きました。自分の家族が死んでしまう、そんな中で笑顔であることは想像できませんでした。しかし、死なんとする人が希望し、臓器を必要とする人が助かることを尊重する、多くの葛藤があった中で提供者本人の希望を叶えてあげることが最善策だと考えられたんだなと思うと、もし私も臓器提供者の家族なら同じ答えが出せるか不安に思いました。もっと移植医療について知識を深めていきたいです。