チャペルのひびき

世の光としてのキリスト教となるために

チャペル・アワーは、藤野豊先生(国際文化学科教授)が「キリスト教は『民衆のアヘン』か?」とのタイトルのもと、ご自身の取り組んでこられたご活動におけるエピソードを交えて、心に残るメッセージを届けてくださいました。キリスト教は確かに歴史において非難されるべき様相を呈してきたことも事実。とりわけ、上から目線で救済の対象として人々に教えを垂れ、かえって差別されている人々の抑圧に加担してきたこともありました。けれども、内側から自らを変革してゆこうとする力が不断に働くところもキリスト教の特徴です。差別されている人々と同じところに立ち、解放の主体として人々と行動を共にする時、キリスト教は、この世界に光を灯し、社会を変革してゆく力となるのだということを、藤野先生は力強く語ってくださいました。キリスト教精神に立つ敬和学園に対する励ましのメッセージとして受け止めさせていただきました。アッセンブリ・アワーでは、本学草創期の卒業生でもあられる内田恭子先生(新発田市人権啓発課課長補佐)より、「人権」について考える機会を与えられました。私たちが、普通に生活し、当たり前のように人々と接する中で、無意識のうちに、差別に加担し、人々を傷つけてしまうこともあるのだと教えられました。大切なことは、「当たり前」を常に問い直してゆく姿勢であると、心に刻みたいと思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「キリスト教は『民衆のアヘン』か?」 教授 藤野豊 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「すべての人が生きやすい社会を目指して」 新発田市人権啓発課課長補佐 内田恭子 先生

<参加学生の感想>
感想1) 藤野先生のお話ではキリスト教は大きな力、生きる力を与えるものであり人権問題に対して差別を受けて可哀想な人を同情して救う対象ではなく、共に戦っていく宗教であることがすばらしいことだと感じ心に残りました。また人権問題は人ごとではなく自分の足元の問題であると考えることの大切さを学びました。内田さんのお話では、よく耳にする人権問題の今まで知らなかったことについて知ることができました。人間には生まれながらに自分らしく生きる権利を持っているのにも関わらず、社会差別などで生きづらい状況下で生きている人もいるということを私たちは知っておくべきであると思いました。そしてこのことを知った上でどうすれば差別をなくすことができるのか、日ごろから人権問題に耳を傾けながら考えて生活していこうと思いました。普段からできる行動として噂や憶測に捉われず、相手に目を向け耳を傾け相手のことをよく知ることを心がけようと思います。
感想2) 差別は、身近な問題であるのだとお話を聞いて改めて感じました。悪意がなくても知らないうちに相手を傷つけてしまっていることがあるため、相手の立場になって気持ちを推測してから発言することを大切にしたいと考えました。現代では、インターネットの普及によって匿名性を利用して自由に発言をしている人が多くいます。しかし、投稿する前に一度冷静になって内容を見直したり、自分が思っている以上にたくさんの人から見られているということを意識しながら利用するべきだと私は考えました。普段の生活から、差別や偏見を防ぐためにできることは些細なことからあるのだと分かりました。最後に、私は今、別の講義で多文化共生や多様性について考えているため、今回のお話は非常に勉強になりました。国籍や外見など、一部のステータスで人を見るのではなく、一個人としてその人の内面などに着目していくことが差別や偏見をなくすために必要だと思います。