神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

「イエスの祈り」(2020.10.9. C.A.H.)[2020-10-09]

20201009チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

皆さん、おはようございます。今日は毎週チャペル・アワーの交読文で交読している「主の祈り」について、その意味を考えてみたいと思います。「イエスの祈り」とタイトルをつけましたが、新約聖書の「イエスの祈り」はもう一つ有名な祈りがあります。イエスが最後の晩餐後に自分の死を予感した「ゲッセマネの祈り」(マルコ14:36)です。

「主の祈り」は2000年間のキリスト教会で最も大切な祈りです。イエスが弟子たちに祈る時にはこう祈るようにと教えた祈りだからです。この祈りは世界の77億人の約 1/3の26億人のキリスト者がよく祈り、どこの国のどこの教会でも毎週祈る祈りです。

大学では日本聖公会とカトリック教会の共通訳で交読しています。今日は新共同訳聖書により最新の研究成果に基づいて考えてみます。「主の祈り」は、教会でも個人でも用いるマタイ版の祈りとオリジナルをほぼ保存しているルカ版の祈りがあります。ここではルカ版により、ルカ版がオリジナルを外れる2か所は、その都度指摘していきます。

イエスの祈りの特徴は、当時のユダヤ人も現代のユダヤ人も毎日3回祈る「18の祈り」(シェモネー・エスレー)と比較すると、祈る項目も18の1/3の6つと少なく、一つの項目も極めて簡潔で、「長い祈り」(マルコ12:40)をしない点にあります。マタイ版の「主の祈り」よりもオリジナル版のルカ版の「主の祈り」の方がさらに簡潔です。

「主の祈り」の構成は、「ゲッセマネの祈り」と同じく、天上の神を讃える部と地上の人間の願いを述べる部の二部構成です。前半の神を讃える祈りは、「神」「御名」「御国」の祈りで構成され、後半の人間の願いの祈りは、「糧(パン)」「赦し」「誘惑」の祈りで構成されています。

前半の神を讃える祈りの第一は、神への呼びかけです。オリジナル版では「父よ」の一言です。この言葉は「ゲッセマネの祈り」でも用い(マルコ14:36)、パウロの手紙(ガラテヤ4:6、ローマ8:5)にも残されています。イエスが日常用いていたアラム語で「アッバ」という言葉です。これは幼児が父親に対して呼びかける言葉です。つまり、イエスは幼子が父親を信頼するのと同じように全く信頼する心で、神に対して呼びかけるのです。

第二は、「御名」すなわち「神の名前」で代表される「神の存在」についての祈りです。神には「聖なる清さ」という特質があります。「崇める」とは「尊い存在として敬う」という意味です。「聖なる方」を「聖なる方」として、すなわち「神を神として敬う」ことです。人間は目に見えることのみを考えがちですが、「目には見えない隠れた神」がおられ、「その神が敬われますように」という意味の祈りです。

第三は、「御国」すなわち「神の国」が来ることを待ち望む祈りです。イエスは「神の国」の宣教をし、「神の国」について例え話で語りました。「神の国」は「神の霊によって与えられる正義と平和と喜び」が支配する国です(ローマ14:17)。マタイはそれを「神の心である正義と平和と喜びが天上で支配するように地上でも広まりますように」という願いを付け加えています。

後半の「私たち」の祈り、すなわち人間の願いの第一は、自分の存在の祈り、生きていくのに必要な「糧(かて)」すなわち「パン」を求める祈りです。イエスは「悪魔の誘惑の場面」では「人はパンだけで生きるのではない」と言いました(ルカ4:4)。マタイはそれに「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)と付け加えています。しかし、ここではそれとは反対に「パン」を求める祈りをしています。イエスの言葉の片方の面だけを見るのではなく、両面を合わせて見ることが大切です。

イエスが活動したパレスティナ北部のガリラヤ地方は、貧しい小作農が多い地方でした。そこで第一の祈りは「パン」を求める祈りとなっています。ここでルカ版では「今日(与えてください)」というオリジナル版の切羽詰まった祈りをルカの教会の状況に合わせて「毎日(与えてください)」と将来を展望した余裕のある祈りに変えています。

人間の願いの第二は、人間関係の祈り、すなわち人を赦す」祈りです。ここでもルカ版ではオリジナルの「負い目」直訳すると「借金」「負債」という比喩的な言葉を分かりやすい「罪」という明確な言葉に置き換えています。すなわち、毎日の人間関係で起こるトラブルの原因である人の「罪を赦す」祈りをします。ここにイエスに特徴的な考えが見られます。すなわち、人が私に対して犯した罪を赦しますから、神さま、私があなたに対して犯した罪を赦してくださいという順序です。

人と人との間の人間関係の中で最も大切なことは、人が私に対して犯した罪を赦すことです。倍返しとは真逆の考えです。神との関係で最も大切なことは、自分が犯した罪が神から赦されることです。ここでは最初に人を赦すことが求められています。そうすると自分の罪も神から赦されるのです。ここに人間関係の秘訣と神との関係の秘訣があります。

人間の願いの第三は、「誘惑」を避ける祈りです。毎日の安全で安心な生活を脅かすのは「誘惑」です。ちょっとした心の隙から悪い方へと誘う「誘惑」です。マタイ版ではこれにもう少し具体的なイメージを与えて、「誘惑」を特定して「悪い者から救ってください」という言葉を付け加えます。

以上の「主の祈り」の言葉の後に、1世紀末から2世紀初めには、「(国と)力と栄えとは、限りなくあなたのものです」という神を讃える讃詠の言葉が追加されて1日3回祈るようになっていきました(ディダケー8:2-3)。

日本の教会では、毎週日曜日の礼拝で、会衆一同で「主の祈り」を祈ります。多くの教会では文語訳聖書の言葉で祈ります。「主の祈り」は英語では “Lord’s Prayer” と言います。英語圏の多くの教会ではジェームズ1世の時代に訳された欽定訳聖書(King James Version)で祈ります。これはシェークスピア時代の英語を用いて訳された聖書です。何かに行き詰まったら、空を仰いでみましょう。四面楚歌の状態でも空は開いています。そして「はるかな山に(向かって)祈ろう」(校歌)。それでは祈りましょう。(山田 耕太)

  主の祈り(Lord’s Prayer)新共同訳

    マタイ福音書6:9-13               
    天におられる私たちの父よ、
    御名があがめられますように。
    御国が来ますように。
    御心が行われますように、
     天におけるように地の上にも。
    私たちに必要な糧を今日与えてください。
    私たちの負い目をお赦しください。
    私たちも自分に負い目のある人を
     赦しましたように。           
    私たちを誘惑に遭わせず、        
     悪い者から救ってください。

    ルカ福音書11:2-4
    父よ、
    御名が崇められますように。
    御国が来ますように。
    私たちに必要な糧を毎日与えてください。
    私たちの罪を赦してください。
    私たちも自分に負い目のある人を
     皆赦しますから。
    私たちを誘惑に遭わせないでください。

    文語訳                 
    天にまします我らの父よ、
    願わくは御名を崇めさせ給え。
    御国を来たらせ給え。
    御心の天になるごとく、地にもなさせ給え。
    我らの日用の糧を、今日も与え給え。
    我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、
     我らの罪を赦し給え。
    我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え。
    国と力と栄えとは限りなく、
     汝のものなればなり。アーメン。

    King James Version
    Our Father which art in Heaven,
    Hallowed be thy name.
    Thy kingdom come,
    Thy will be done in earth, as it is in heaven.
    Give us this day our daily bread.
    And forgive us our debts,
     As we forgive our debtors.
    And lead us not into temptation,
     but deliver us from evil:
    For thine is the kingdom, and the power,
     and the glory, for ever. Amen.

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