神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

二つのキリスト教:正戦論と非戦論(2015.9.25 C.A.H)[2015-09-25]

「幸いである、平和を創る人々は。彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9私訳)

前回7月24日の前期最後のチャペル・アワーでは「二つの平和論」と題してお話しさせていただきました。その時に「平和」には人権が守られている状態の「積極的平和」と戦争がない状態の「消極的平和」の二つの側面があることを指摘しました。また、安倍首相の「積極的平和」は平和学の用語では「消極的平和」であり、言葉を間違って使っていることも指摘しました、その間に、参議院でも憲法違反の可能性が極めて高い安全保障関連法案が国民の多数の声を無視して強行採決されてしまいました。しかし、SEALDsを始めとする若者たちの新しい動きが注目を集めています。今日はそれと関連して前回に続いて「戦争と平和」の問題を「正戦論と非戦論」という二つのキリスト教の立場についてお話ししたいと思います。

20150925チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

「正戦論と非戦論」とは何でしょうか。キリスト教は一つですが、戦争に対する態度では正戦論の立場と非戦論の立場の二つに分かれます。「正戦論」(just war)というのは「正義」(justice)のためにのみ戦争を認める立場を言います。それに対して「非戦論」(renunciation of war)というのは、あらゆる場合に戦争を認めない立場を指します。結論を先に言いますと、元来キリスト教は非戦論の立場でしたが、ある時点から非戦論のキリスト教と正戦論のキリスト教に分れたのです。正確に言うと、分かれたのではなく、非戦論のキリスト教に正戦論のキリスト教が加わったのです。
「戦争と平和」という視点に立って聖書を見てみますと、旧約聖書では、とりわけイスラエル12部族がモーセに率いられて出エジプトをして、パレスティナの土地に定着して以来、バビロン捕囚から再びパレスティナの土地に帰還するまで、神によって導かれた聖なる戦争を認めています。これを「聖戦」(holy war)と言います。旧約聖書のコンセプトをそのまま引き継いでいるユダヤ教とイスラーム教には「聖戦」というコンセプトが生きています。
しかし、新約聖書では、隣人愛と敵愛と徹底した赦しを説いたイエスは、復讐することを禁じ(ルカ6:29-30)、「すべて剣を持って立つ者は剣によって滅びる」(マタイ26:52)と武力に対して武力で解決することを禁じました。イエスは神の国の福音を説くと人々の病を治し、「シャーローム(平和)」に由来するいのちを大切にする立場から苦しみ悩む人々を救い(積極的平和)、暴力による復讐を否定しました(消極的平和における武力の否定)。イエスの非武装・絶対的平和主義の教えと実践は、インド独立の父のマハトマ・ガンジーや、アメリカ黒人解放運動のリーダーのマルティン・ルーサー・キング牧師の思想と実践にも影響を与えました。
イエスの思想と実践を受け継いだパウロは、キリスト教の宣教を武力によらないで平和を推し進める「平和部隊」のイメージで説明しました。すなわち、宣教を(目に見えない霊的な)「戦い」(Ⅱコリント10:3-4、他)の比喩で述べ、同労者を「戦友」(フィレモン2、フィリピ2:25)と呼び、獄に捕えられると「捕虜」(直訳、新共同訳「捕われの身」「捕われている」、フィレモン23、ローマ16:6、コロサイ4:10)という隠喩を用いました。また、宣教者をローマ軍の兵士との比較で語りました(エフェソ6:10-18)。
1-2世紀の使徒時代以後のキリスト教の指導者は「教父」と呼ばれますが、2-3世紀にカルタゴで活躍したラテン教父(ラテン語公用語地域の教父)のテルトゥリアヌスも、3世紀にエジプト・アレクサンドリアで活躍したギリシア教父(ギリシア語公用語地域の教父)のオリゲネスも、イエスとパウロの「非戦論」の立場を受け継ぎました。それを象徴する行為として、この時代にローマ帝国の兵士がキリスト教徒になる時には、軍人を辞めなければなりませんでした。
このような非戦論の立場のキリスト教が転換するのは、ローマ皇帝のコンスタンティヌス帝がキリスト教に回心したことに由来します。313年にコンスタンティヌス帝は、それまでローマ皇帝を神として仰がないことが理由で迫害されてきたキリスト教を国教にする道を開くミラノ勅令を出しました。こうしてキリストの教会は町外れにあった民家の「家の教会」から町の中心の広場(アゴラ)に面した公会堂(バシリカ)の教会に移ってきました。それと同時にキリスト教は国を守る宗教となって、キケロの考えの影響を受けて正義のために戦争をする「正戦論」の立場(例、アンブロシウスやアウグスティヌス)が加わってきたのです。
キリスト教が国教の国では、政府や多数の市民は「正戦論」の立場を取りますが、再洗礼派のメノナイト派やピューリタンのクウェーカー派などの少数派の人々は新約聖書の「非戦論」の立場を貫いています。日本はキリスト教が国教になった歴史がなく、キリスト教が支配的宗教になったことがないので、教会では「非戦論」が多数を占めています。しかし、第二次世界大戦時には政府の主導する軍国主義的政策に絡め取られていった苦い経験があります。その中で極めて少数の例外ですが、戦時中も内村鑑三の「非戦論」を貫いた新潟県与板出身の柏木義円という安中教会の牧師がいたことを忘れてはなりません。
内村鑑三は安中藩の武士の子でしたから、生まれながら戦争は当然のことと考え、日清戦争では正義のために戦争をする正戦論の立場に立っていました。しかし、日露戦争では急転して非戦論の立場に変え、生涯にわたって非戦論を貫きました。それでは、なぜ正戦論から非戦論に転じたのでしょうか。後になってその理由を4点挙げています。
(1) 新約聖書を深く学ぶようになって、新約聖書の教えが非戦論であると知ったこと。
(2) 不敬事件で世間から非難を浴びた時に無抵抗で平安を得た「実験」(経験)によること。
(3) 過去10年の歴史を振り返ると、日清戦争で日本が勝利し、キューバを巡るアメリカ・スペイン戦争でアメリカが勝利し、その後、戦勝国である日本とアメリカの社会が堕落したこと。内村は日本で戦勝後に堕落した例として足尾鉱毒事件を取り上げています。
(4) 内村が愛読していたThe Springfield Republicanという雑誌は、新約聖書のキリスト教に近い立場で、その影響によること。(「余が非戦論者となりし由来」『聖書の研究』第56号〔1904年〕所収、『日本平和論体系』第4巻、日本図書センター、1993年、111-114頁)
この中で大切なのは新約聖書の思想と内村自身の経験です。すなわち、新約聖書の思想を自分の経験を通して裏打ちしたことが重要です。
この9月19日から日本の安全保障政策は大きく転換していくことになりました。皆さんは戦争と平和について理論武装すると同時に、自分の経験を通してそれを裏打ちすることが求められています。来年夏の参議院選挙から18歳の人にも選挙権が与えられます。自分は「正戦論」に立つのか「非戦論」に立つのか、「戦争と平和」の問題を自分自身のこととしてよく考えてみましょう。

(祈り)
命の源である神様、戦争という悲惨な出来事の中で人の命が軽々しく扱われることがないようにしてください。この地上から戦争や紛争を失くしてください。紛争が起こっても武力で解決するのではなく、外交手段と国際協力という人間の知恵と絆によって解決する方法を身につけさせてください。平和の神様、地上に天上の平和をもたらしてください。私たちを「平和を創り出す人」とさせてください。どこでどんな職業に就くにしても、人々に仕えて人々の間に「平和を創り出す人」となさせてください。主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。(山田 耕太)

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