学長室だより

2006年6月30日号

チャペルで「辺境に生きよ」と題する話をした。辺境とは中心を離れた国ざかいのことである。この辺境はバカにならない。〈中心〉が乱れると、その中心をたしなめるほどの新鮮な力が〈辺境〉に宿ることが歴史上、よく起こる。1870年代の札幌農学校でW.S.クラークがほどこした教育が、その後の日本に大きな貢献をする人物を多く生んだことは、よく知られていることだ。その教育の柱は(1)開拓者精神、(2)合理的精神、(3)ピューリタニズムの精神であった。東京ではこの教育は不可能であった。それを可能にしたのは札幌という〈辺境〉であった。
人も民族も歴史の中心に立つことを願うな。〈中心〉に居座ろうとする気持ちが傲慢を生み、その傲慢が歴史の裁きに会うのである。人も国も低きに立って、他に仕える心をもたねばならない。それが真の友を呼ぶ結果をうむ。 敬和学園大学に学ぶ若人は、辺境に立って、「神に仕え、人に仕える」精神に生きよ、と語った。留学生の出席の多いチャペルであった。(新井 明)