学長室だより

2007年7月6日号

6月16日(土)に日本女子大学で英文学科卒業生の会が催され、出席した。講演を依頼されていたので、「阿賀北の成瀬仁蔵」という話をした。成瀬は1886年(明治19)に28歳にして新潟教会を創設し、新発田、中条へも伝道に行った。翌年には新潟女学校、北越学館を開校。しかし、かれが新潟を去った後、双方とも、時に台頭した明治の国家主義の激風の前に閉校を余儀なくされた。その末裔として、70幾年か経って、自由高等教育を理念とする敬和学園高等学校と、さらにその後、敬和学園大学が建った。そこに新井がいることを、ご縁と思っていると語った。
ある現役の教授が立ち上がって感想を述べた。新井先生は最近の大学基準協会の会報で、敬和は(イ)経済効率第一主義の教育に逆らい、人格教育にはげむ。(ロ)敬和は教員・職員・学生が一体となった「愛の共同体」をめざす、と書かれた。これを読んで「じぃーんと来ました」。わたしは、「しかし、それは日本女子大のそもそもの教育目標ではなかったでしょうか」と答えた。(新井 明)