学長室だより

生活の中に実現する神の祝福

契約は祝福と呪いを伴っていた。契約を守る者には祝福が、契約を踏みにじる者には呪いが宣言されている。申命記には「あなたは町にいても祝福され、あなたが畑にいても祝福される。あなたの胎の実も、あなたの土地の実りも、あなたの家畜が産む子、あなたの牛の群れの子、あなたの小家畜の群れの子らも祝福される。あなたの籠も、あなたのこね鉢も祝福される。あなたは入るときも祝福され、あなたが出るときも祝福される」(28章3節~6節・私訳)と、古い素朴な言葉が残されている。呪いもこれと対を成す形で伝えられている(28章16節~19節)。
契約は、神が命じた戒めや定めを守り行なうことに集約されるが、祝福が臨むのは「あなた」が主なる神の声に聞き従ったからであるという(28章2節)。祝福は来世における至福でなく、籠やこね鉢に象徴される生活に臨む。「あなた」が神と共に出入りする生そのものが祝福であり、子供の誕生や家畜、土地の実りも祝福の対象である。旧約聖書では、現世で生かされている、生きていることが、神の祝福そのものである。イエスが告げる神の国も、生の只中に到来するという(ルカによる福音書17章20節~21節)。(鈴木 佳秀)