学長室だより

太田俊雄のユニークな教育思想(1)

鈴虫の鳴き声が夜空に冴えわたるころとなりました。今年は法人・高校創立50周年の年です。9月30日には、新潟市で記念式典が行われます。そこで、学校法人敬和学園の教育の土台を据えた太田俊雄初代校長の生い立ちとその教育思想の形成を私なりに跡づけてみました。

2017.8.18学長ブログ

敬和学園高校初代校長太田俊雄

 

太田俊雄は1911年に岡山で石屋の子として生まれました。岡山の私立旧制中学で出会った英語教師の柴田俊太郎に感化され、英語教師を目指して上京し、法政大学夜間部で苦学する中でクレーマー宣教師と出会ってキリスト者になりました。青年教師として、古川・青森・水口・八尾・大阪の旧制中学で合わせて14年間英語を教えました。

戦争直後にクレーマー宣教師の故郷イリノイ州ネイパビルにあるノースセントラル大学神学部で3年間学び、帰国後に東京目白にある日本聖書神学校の教授として14年間教えました。いろいろ教えましたが、専門は宗教教育論でした。その後16年間、敬和学園高校の初代校長として教えました。

敬和学園での教育実践の背後にあった教育思想は、ブッシュネルやミラーの「キリスト教養育論」であり、クリークの「無意図的教育論」などでした。詳しくは、2008年~2015年まで鷹澤昭一前副校長、鈴木孝二基督教独立学園元校長らと共に毎年開催してきた太田俊雄研究会で報告した論文「太田俊雄の宗教教育思想(1)」(『人文社会科学研究所年報』No.7, 2009年)をご覧ください。(山田 耕太)