学長室だより
敬和学園の理事長人物伝(2)
本学園は日本基督教団により創立されたので、第二代、第五代理事長は教団の総会議長経験者がなりました。
第二代理事長(1968~1976年)の大村勇は、1901年に山梨県東山梨郡八幡村に生まれました。青山学院大学神学部を卒業し、千葉教会の牧師を経て、ボストン大学神学部に留学しました。1934~37年まで阿佐ヶ谷教会牧師と青山学院大学神学部講師を兼務し、1937~40年まで青山学院大学神学部長を経て、1940~74年まで日本基督教団阿佐ヶ谷教会牧師を務めました。1962~66年まで日本基督教団総会議長、1966~68年まで日本キリスト教協議会議長を経て、本学園の初代理事長の逝去に伴い第二代理事長に就任し、太田俊雄初代校長をよく支えました。著書に『日本の説教Ⅱ第7巻 大村勇』(日本基督教団2005年)があります。
第五代理事長(1989~2011年)の後宮俊夫は、1922年に海軍軍人の長男として和歌山で生まれました。母は広島女学院で洗礼を受けたキリスト者でした。海軍兵学校を繰り上げ卒業すると同時に真珠湾攻撃に司令官付き将校として参戦、ミッドウェー海戦にも参戦しましたが、ソロモン海戦では九死に一生を得る経験をしました。戦後は真珠養殖に失敗し、父親の自死する中で、母親の勧めでちいろば先生と称された榎本保郎牧師に出会ってキリスト教に回心して、独学で牧師試験に合格し、大住世光教会で開拓伝道をし、榎本保郎の後継者として世光教会の牧師を務めました。その間の1978~88年には分裂期の日本基督教団総会議長を務めました。その直後から22年間にわたって本学園の理事長を務め大学の創立に関わりました。その間に社会福祉法人近江ちいろば会と社会福祉施設ピスガ甲西を立ち上げて、現在まで甲西伝道所の牧師をしています。著書に『み手によりて:激動の時代を生き抜いた80年』(日本基督教団出版局、2002年)があります。(山田 耕太)