学長室だより

ダンテ没後700年に山川丙三郎を思う

久しぶりの大雪の中で新年が明けました。雪かきをしながら、辛抱強い新潟県人の気質を形成してきた風土について思わされます。また、根気のいる作業を地道に積み重ねて完成した阿賀野市安田出身の吉田東伍の『大日本地名辞典』、三条市下田出身の諸橋轍次の大漢和辞典、そして故郷では忘れられている「新発田が生んだダンテ研究家:山川丙三郎について」思わされます。

山川丙三郎は1876(明治9)年に新発田市上館に生まれ、北越学館で学びました。学館の閉校に伴い、3年上の五十公野の出村悌三郎(後の東北学院第三代院長)と共に歩いて仙台に行き東北学院に編入しました。そこで苦学しながら卒業し、カリフォルニア大学バークレー校に留学し英語教員資格を得、イタリア語をはじめダンテ研究に必要な学問も身につけて帰国しました。極貧の中でダンテ『神曲』を翻訳し、出村悌三郎の招きにより東北学院の英文学の教授となりました。

今年はダンテ没後700年の年に当たり、イタリアをはじめ日本を含めて各地でさまざまなイベントが企画されています。当時の日本では、ダンテ生誕650年の1915(大正4)年とダンテ没後600年の1921(大正10)年の間にダンテブームが起こり、『神曲』が翻訳されました。その中でも中山昌樹と山川丙三郎が競って訳しました。中山が英訳からの重訳で早く出版しましたが、山川訳はイタリア語の原語からの訳で地道な研究に裏づけられていました。岩波文庫に収められた山川訳は、現在14種類ある日本語訳の中でも最も格調の高い優れた訳です。(山田 耕太)

2021.1.8学長ブログ

『神曲(上・中・下)』 山川丙三郎 訳(敬和学園大学図書館蔵書)