学長室だより

『愛は決して滅びない』

青空を見上げると一面にうろこ雲が広がる季節となりました。
 
新発田阿賀北地区保護司会の長谷川稔広報部長から会報「ふれあい」に掲載するために、共生社会学科をはじめとする本学のユニークな教育について寄稿するように求められました。この会報は11月下旬に新発田市、阿賀野市、胎内市、聖籠町の全戸に配布されます。

「共に生きる社会を目指して」と題した拙稿をお送りすると、今度は私が最近感動した書物について、お問い合わせがありました。そこで、依田直也・依田和子著『愛は決して滅びない:アメリカ人女性ロイス・クレーマーをめぐる人びと』(教文館、2005年)をご紹介しました。

2016.9.23学長ブログ

依田直也・依田和子著『愛は決して滅びない:アメリカ人女性ロイス・クレーマーをめぐる人びと』

 

クレーマー女史は、1917年(大正6年)に幼稚園事業のために福音教会の宣教師として来日し、後年には日本幼稚園連盟の会長にまでなります。来日した翌年にライシャワー宣教師夫妻(エドウィン・ライシャワー駐日大使の両親)と出会いました。クレーマー宣教師が聴覚障害者に対する口話法を身につけていたので、ライシャワー夫妻の娘フェリシアの聴覚障害を克服するために、ライシャワー宣教師と共に口話法による日本聾話学校を牛込福音教会(現、日本キリスト教団エパタ教会)内に開校します。日本聾話学校は、現在も東京・町田市にあります。
 
クレーマー宣教師は太平洋戦争が始まっても、適性外国人として日本に留まり、食料難の東京で抑留収容所生活をし、収容されていた修道院が爆撃で焼け出される経験もします。戦争が終わると一時帰国した後に再来日して活動を再開し、1957年に40年の宣教活動を終えて帰国します。

敬和学園高校初代校長の太田俊雄は、旧制中学英語教師の柴田俊太郎によりキリスト教の感化を受け、上京して牛込福音教会でクレーマー宣教師と出会って洗礼を受けました。終戦直後にアメリカに留学し、シカゴ近郊のクレーマー宣教師の郷里ネイパビルにあるノースセントラル・カレッジの神学部(現在はギャレット福音神学校分校)で宗教教育学を学びました。(山田 耕太)