チャペルのひびき

差別や偏見を乗り越え、共に生きる社会を築くために

チャペル・アッセンブリ・アワーでは、田中利光先生(共生社会学科教授)が、「緊急貨幣と反ユダヤ主義~ポグロムからホロコーストまで~」と題し、厳しい迫害と差別を受けてきたユダヤ人の歴史についてお話しくださいました。紀元70年にローマ帝国によって壊滅的な敗北を喫し、故国を追われ、離散の民となったユダヤ人は、その独自の信仰と独特の生活様式、また、金融、教育、医療その他、さまざまな領域において顕著な力を発揮してきたがゆえに、長きにわたり迫害と差別の中を歩まざるを得ませんでした。近現代になっても、故国(ユダヤ人国家)再興を掲げるシオニズムが提唱される一方で、ユダヤ人陰謀論が喧伝され、相も変らぬ偏見と差別にユダヤ人はさらされ続けたのです。第一次大戦以降、ドイツの地方自治体や国家によって、ハイパーインフレ等に抗するために発行された緊急貨幣には、ユダヤ人差別・攻撃を煽るような絵柄が採用されさえしたということを、田中先生は、詳しく説明してくださいました。かかる偏見・差別・迫害は、ナチスドイツの時代に極点に達し、何百万ものユダヤ人がアウシュヴィッツ等の強制収容所において殺されていったことは、周知の事実です。けれども、そのような反ユダヤ主義は、ネオナチなどの極右的勢力が勢いを増している欧米の状況を見ても、決して過去のものではないことも知らされました。依然として黒人差別があからさまに横行しているアメリカの現状、新型コロナの感染者や医療従事者に対する偏見や差別が平然となされてしまう私たちの社会を見ても、偏見や差別といった事柄は、現在の問題であると思わざるを得ません。田中先生は、お話しの最後に、人の属性に左右されない、人種、民族、宗教の違いを乗り越えた共生社会を形成してゆくためには、自らの価値観を大切にしつつも、他者も同様に大切な価値観をもっていることを認め、双方の違いを乗り越えてゆくことを模索してゆかなければならないこと。そのために養うべきは、物事を多様な視点から見つめることのできる複眼的思考を養うことであることを教えてくださいました。偏見から解き放たれた自由闊達な精神(複眼的思考)を養うことに主眼を置くリベラルアーツ教育の意義を深く覚えることのできた豊かなチャペルでありました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アッセンブリ・アワー 
説教 「緊急貨幣と反ユダヤ主義~ポグロムからホロコーストまで~」 教授 田中利光 先生
20200612チャペル・アッセンブリ・アワー1

<参加学生の感想>
感想1) 今回は、田中先生から緊急貨幣を通した反ユダヤ主義の歴史についてお話を聞きました。ヒトラー政権によるユダヤ人迫害の話は聞いたことがあったのですが、今日の授業を受け、改めて迫害について重く感じるものがありました。過去にユダヤ人大虐殺という悲惨なできごとが起こったにも関わらず、今日でもユダヤ人に対する迫害や差別的意識が持たれていることを知り、悲しくなりました。ユダヤ人をおとしめるような行為が行事として今も行われていること、そして何より大人だけでなく子供まで一緒になって参加している写真を見て、私はとても胸が痛くなりました。きっかけはささいなことでも人々によって偏見や間違った考えが広められ、ある種族に対する差別や迫害につながってしまう。そのようなことはこれ以上あってはならないことです。一人ひとり違うところはあっても皆同じ人間です。お互いにもっと理解し合い、認め合い、共に協力して生きていくことが大切だと思います。
感想2) 今までユダヤ人の迫害について詳しく学んだことがなく、紙幣に差別が表現されていることや「水晶の夜」のドイツ国全体でユダヤ人を攻撃したという憎悪の強さに驚きました。こんなにもたくさんのひどいことを誰も止めようとしないことに差別の恐ろしさも感じました。さらに驚いたことは、今日でもユダヤ人に対する感情が消えていないということです。このことから、差別や偏見を完全になくすことの難しさを感じました。文化が違えば価値観も違うのは当たり前ですが、その違いの壁を乗り越えて認め合うには時間がかかります。ですが時間がかかっても分かり合おうとする努力が大切だと思いました。
感想3) 今回のユダヤ人への迫害のお話を聞いて、共生とは何かについて考えることができました。ユダヤ人だからこうであるという勝手な決めつけによって苦しむユダヤ人がたくさんいて、それが当然であるという考えが世界中に広がっていることを学びました。人それぞれに多様な価値観があり、主張するのみでは衝突してしまうけど、しっかりと互いの違いを理解し、共に模索しながら互いを認め合うことが大事だと分かりました。
感想4) 私は今日のお話を聞いて、迫害の恐ろしさを知りました。ユダヤ民族の人たちは何も悪いことをしていないのに、特異な宗教であることや生活様式が独特であること、経典の教えに従うことを優先することや仕事の成功者が多いことを理由に他の国家の人々は憎悪の感情を募らせ差別し、残酷な事件を引き起こしてしまったことが非常に残念です。シオニズムでユダヤ人たちが掲げたダビデの星が数々の迫害によってユダヤ人への差別の象徴となってしまったことも非常に残念でやるせない気持ちです。ユダヤ人たちはとてもがんばっていて、同じ人間なのになぜそのようなひどい扱いを受けなければならなかったのかと疑問に思いました。また、今もなおユダヤ人に対する差別の考えが残っていて、それを平然とする人々がいることに心が痛みます。悲しい迫害や差別が一刻も早くなくなって共に生きることのできる社会にするためにはどうすればよいのか一人ひとりがしっかり考えて生活することが大事だと思いました。