チャペルのひびき

未来に向けて小さな種を蒔き続けてゆくこと

先週のアッセンブリ・アワーは、趙晤衍先生(共生社会学科教授)がご担当くださいました。先生は、「農福連携の実践とまちづくり」とのタイトルのもと、地域において取り組んでおられる画期的な実践についてご紹介くださいました。粟島、またとりわけ近年では新発田市の上三光地区という自然豊かな地区に深く関わられ、その地に住む方々と大学を結ぶ貴重な活動を展開されております。趙先生のお心の内にあるのは、農業と福祉を結びつけることを通して、さまざまな社会的(福祉的)課題を解決してゆくこと。その際、それらの活動を一過性のものに終わらせないためにも、ビジネスの要素も取り組んでゆくことが必須であるとのことでした。実際に、先生は、サービスラーニングの一環としてこの活動に参加した学生たちと共に、地域の多くの方々のご協力を得ながら、すばらしい商品をいくつも開発、販売されておられます。この活動がますます祝されますよう願ってやみません。「マイナスとマイナスを掛け合わせることによりプラスのものを産み出すことができる」との先生のお言葉も心に残りました。先立つチャペル・アワーにおいては、旧約聖書の「出エジプト記」に耳を傾けてみました。外国人排斥が叫ばれかねない昨今の情勢の中で、より一層、自分たちの国に居住する寄留の民を、同じ人間として大切にしてゆくこと。どんなに些細なことであっても、そのことの小さな積み重ねが、未来に向けての平和の種を蒔くことになることを心に留めたく思います。聖書はそのことを教えてくれる書物です。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「融和と共生の社会を築くために」 宗教部長 下田尾 治郎 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
 農福連携の実践とまちづくり 教授 趙 晤衍 先生

<参加学生の感想>
感想1) 「共生」とはどういうことなのだろうとずっと考えていたけれど、下田尾先生のお話を聞いて意識をしないと「共生」は生きれないものだと感じた。外国人の立場の弱さをしっかり頭に入れた上でどう向き合うか、どう接するかが大切で、「共生」は簡単なように見えて実は難しいものだなと考えた。もちろん、日本人も他国に行けば外国人なわけで立場も弱くなる。そんな中で差別を受けたり人格を否定されたりしたらどう感じるだろうか。国は違えど同じ人間。意見や思想が違えど同じ人間。「共生」できるかできないかは自分と違うものを受け入れられるかどうか、同じように愛せるかどうかで決まると感じた。これは日本人同士の間でもいえることだと思う。これからの生活の中でたくさんの人と出会う。その時には自分は「共生社会」をつくる側でありたい。
感想2) まちづくりを行っていく上でかかせないものは、住民の意識改革である。地域行事に無関心であったり、近隣住民との接触を拒んだりする人が増えているとよく聞く。地域にはたくさんの宝があると学んだ。その地域特有のものには計り知れないほどの価値がある。歴史や風土によって生み出されたお金では買えないものを受け継いでいくことはとても大変なことだが、自分もボランティアなどで協力していきたいと考えた。農福連携とは、農業と福祉のよさを融合したものである。障がい者の方などが人手不足の農業の分野で、自信や生きがいを得て、社会参画を実現することを目的としているものだと学んだ。「困りごとと困りごとを組み合わせる」取り組みは、相互利益として持ちつ持たれつの関係が成り立つため、とてもよい効果であると考える。わたしは特に趙先生の地産地消の考え方や、適地適作をしている活動にとても感銘を受けた。わたしの地元の宝はなにか、生まれ育った地域を大切にしていきたいと強く感じた。