チャペルのひびき
地の塩、世の光
先週のチャペルは、後期の初回、恒例の学長講話として守ることがゆるされました。金山愛子先生(本学学長)は、冒頭、卒業生たちのアンケートの集計結果をお伝えくださいました。それによると、敬和学園大学で培われた最も大きなものは、誠実さと人間の尊厳への意識であるとのこと。それを先生はとても喜ばしきこととしてお伝えくださったのち、マタイ福音書に記された有名な主イエスの山上の説教からの「あなた方は世の光、地の塩である」との言葉の釈き明かしへと話を進められました。塩とは、味付けをするために欠かせないものであると同時に、防腐作用をもっています。地の塩の働きとは、社会に良い意味での味付けをするとともに、世の中が悪しき方向へと、すなわち、虚偽に満ち、人間の尊厳の顧みられない方へと変質してゆきそうな時に、それを防ぐことにある。塩が素材に溶け込み見えなくなったとしても、その力を発揮するように、たとえ目立たなくても社会に欠かすことのできない存在となるべく、また、人々の道しるべとして世の片隅を照らす光となるために、本学での学びがあることを先生は教えてくださいました。引き続くアッセンブリ・アワーは、前期エッセイコンテストの表彰式として守られ、受賞作品が朗読されました。いずれの作品も、チャペル・アッセンブリ―・アワーにおいて語られた説教や講演を真摯に受け止め、心の内に咀嚼し、未来に向けて自分の言葉で紡ぎ出された優れたもの。地の塩、世の光となるための道のりを着実に歩み続ける若き魂に喜びを覚える時間となりました。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 山上の説教と「地の塩、世の光」 学長 金山 愛子 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
前期エッセイ・コンテスト授賞式

<参加学生の感想>
感想1) 塩が、聖書において、とても重要なものであると初めて知った。話に出ていたどの具体例も分かりやすく、納得できるものであった。追い求めすぎずいることが大切であり、やはり「誠実」な気持ちをもっていることが必要であり、まず最初に探すべきなので、自分の身の回りなのだという事だと思った。探し過ぎることは、悪い事じゃないと思った。愛についても、まずは隣人から、人を愛することでその愛を広げるようにするべきだと思った。生まれてしまう悪の感情は、どうすればよいのか人を愛すること、それによって不幸になる人も出るだろうと思った。そして、世界に対して、どれくらいでもいいから一助になれるようにしたいと思いました。また、私だけの光を見つけたいと思った。
感想2) 神からのお言葉をいただくという同じシチュエーションであっても、モーセが民たちに十戒を示した時とマタイによる福音書5章とでは神の振る舞いが違うというお話を聞いて、とてもおもしろいと感じました。そのような違いにも目を向けて聖書を読んでみようと思います。光は自分自身の立場を鮮明に示すものであるということを聞いた時、なるほどと思いました。光とはあらゆるものを照らすものであり、それがどんなに弱いものであっても自分自身の行いを確かに照らし出すのだと感じ、私も自身の行いを胸に張って照らし出せるように生きていきたいです。
感想3) コンテストで賞をとった人たちは自分よりも講話を理解し、価値観や視点が様々であると思った。また、今後どのような生き方をしていくべきかということも考えていて、とても重要なことだと思うし、未来ある私たちの行動が良い変化をもたらすきっかけにもなると考える。自分の経験をエッセイに含めていて、より説得力があるなと思った。講師の言葉を重く受け止め、自分の中で言葉にし、表現できていることがすごいと思った。






