チャペルのひびき
読書の未来
先週のアッセンブリ・アワーは、ロサ・オムラティグ先生(英語文化コミュニケーション学科准教授)が、「読書の未来」との題のもと、本を読むことのかけがえのなさと喜びについて教えてくださいました。現代にあって読むという行為は、手っ取り早く情報を獲得する行為になりつつあります。けれども、スマホ等を通して得られる情報の多くは、自分の好奇心を満たしてくれるように、AIなどにより予め操作されたものであったりもするのです。そして、そのことにより、自分と同質の言葉しか聞こえてこないエコーチェンバーに閉じ込められてしまうことにもなりかねないのです。本を読むという行為は、それとは対照的に、様々な表情を見せる見慣れぬ風景の中を紆余曲折を経ながら、また多くの出会いと発見におののきつつ、進んでゆくようなもの。手っ取り早く情報を求めることに慣れてしまった現代人にとっては、それは、まどろっこしいことこのうえなき作業なのかもしれません。けれども、知識、共感力、想像力、言語能力、(睡眠力?)といった生きるうえで本当に大切な力は、そうした読書を通して養われてゆく。それになによりも本を読むことは、この上なき楽しきこと。それを知らずにいることは、人生にとっての大きな損失であることを、先生はお伝えくださいました。これに先立つチャペルにおいては、終わってしまったとしか思えないところから本当の人生が始まる、ということを、キリスト教的レジリエンスなる言葉をもってお伝えしてみました。聖書には、心折れ、立ち尽くし、うずくまる人々が、もう一度、自分の人生を読み直し、歩み直してゆくといったエピソードがたくさん記されています。そのことを可能とするのは神様の言葉の力であると、聖書では証されていますが、私たち一人一人も、自らの挫折からの立ち直りを糧とし、そのことを通して得られたかけがえのない言葉の数々をもって、生き悩む友に寄り添い、力を与えることのできる存在であることを覚えていただけたらと思います。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「終わったところから始まる本当の人生 ーキリスト教的レジリエンス」 宗教部長 下田尾 治郎 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「読書の未来」 准教授 ロサ・オムラティグ 先生

<参加学生の感想>
感想1) 下田尾先生の説教を聞いて、自分が何者か分からない、もう終わりだってなっても必要としてくれる人がいるだけで人はがんばれるのだと思いました。私も誰かに必要とされ、苦しんでいる人を救えるような人になりたいです。倒れてしまっても立ち直る、そういう経験が生きていくうちで大事なことだと思いました。挫折してこそ人生、そこから始まる本当の人生、いい言葉だと思いました。これからも人と人とのつながりを大切にしていきたいです。また、オムラティグ先生のお話を聞いて昔は、文字は偉い人しか読めてなかったのが驚きました。現在は、本を読む人が少なくなっており、私自身もスマホを見る時間が長いので、読書の時間をまずは少しだけ作ってみたいと思いました。本を読むことで、色々な言葉を知ることができるし、考えながら読むことで身につく能力も増えると思うので、読書してみようと思いました。
感想2) 心を折れないようにしても折れてしまう時があるが、そこで終わりなのではなく、折れてから神の言葉があることによって、立ち上がることができた人々が多いと知った。そして、立ち上がった後は、今度は立ち上がったあなた自身が、誰かを助けてほしいという想いが素敵だと思った。本がなくなる前に本を読む大切さに気づく必要があると思った。母国語だけでなく、他国の本もたくさん読んでいきたいと感じた。本を読むことで知識や語彙の数を蓄えることができ、自分と違う新しい考え方にも出会うことができると思った。フィクション作品でも専門用語などまだ自分が知らなかったことを知れて、自分の意見を持てると思った。






