チャペルのひびき

わくわくする気持ちをもって

チャペル・アワーは、山﨑ハコネ先生(共生社会学科長)が、ご自身の関わられた一人の女性に触れられながらメッセージを届けてくださいました。「私が死んでも誰も悲しまない」と嘆かれていたその方は、神さまの愛のまなざしに包まれて、ご自身の価値を見いだしつつ洗礼を受けられたとのこと。神さまの心の外に置かれる人は誰一人としていない。神さまは、どんな小さな存在をも慈しみをもって心に留めていてくださる。そのことを伝えるために、神さまは、「独り子」主イエス・キリストを私たちのもとに送ってくださいました。クリスマスとは、その御子の到来を喜び祝う季節。その時を待ち望む期間としてのアドヴェント(待降節)にキリスト教の暦は入っていきます。
アッセンブリ・アワーでは、田中純一先生(児童健全育成指導士)をお招きし、地域の方々、若者、児童らと共になさっておられる新潟市西区の平島公園の環境整備活動についてお話を伺うことができました。その活動は、義務であるということ以上に、わくわくする気持ちを大事にする、遊びと学びと働きが総合された地域活動であるとのこと。お話の中で、「働く」との言葉が、語源的には、傍ら(かたわら)の人々を楽にしてあげるという意味を持つことも教えてくださいました。喜びをもって(わくわくする気持ちをもって)隣人たちの重荷を担ってゆくことと、キリスト教的には言い換えることができるかもしれません。ボランティア活動にとって大切な心を伝えていただいたように思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「その一羽さえ」 教授 山﨑ハコネ 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「子どもたちと地域と平島公園」 児童健全育成指導士 田中純一 先生

<参加学生の感想>
感想1) 神さまが人間のことを大事にそして友達だと思っていること、だからこそ自分らしく生きていくことの必要性を学ぶことができました。そして話されていましたが自分の命、誰かと共にできることに対して感謝していきたいと思いました。アッセンブリ・アワーでは、平島公園のことを中心にいろいろな人と出会い協力していくこと、自治会活動やさまざまな活動に興味を持つことやワクワクして活動していくことの大切さを学ぶことができました。また私が印象に残った話は折り紙を折る時に、折り目をしっかり折ることが必要で、折り目正しい生活を送ることができるためであるという説明を聞き、意識していきたいと思いました。
感想2) 今回のチャペル・アッセンブリ・アワーを受け、大切なことを見失っていると気づいた話を聞いて、自身もよくそう思うことがありました。死んでも誰も悲しまないという救急車で運ばれた方のその言葉がつらく感じました。私は兄と10歳以上も離れており、家族もそろそろ年寄りに近いということで私が家族と過ごせる時間は実はもう少ないのではないかと考えることがよくあります。最後に取り残される気持ちはきっとつらく寂しいと中学生のころ、1人で過ごすことが多かった私はそう何度も思いました。その経験があったから、その方の言葉が印象に残ったのだと思います。ただ、私はせめて誰も悲しまなくても、誰かに自分はここにいたという証は残したいと思ったこと、誰かの片隅に残ってくれるとうれしいと最近そう考えるようになりました。きっかけは忘れましたが今回のお話を聞いて、お話のようによい人生を過ごせたらいいと思います。いろいろな人と出会って学べるように意識していこうと思いました。